2015年5月25日月曜日

川崎エクスカーション(1)

 先日の土曜、ゼミの学生らと川崎区を中心に川崎を巡るエクスカーションを実施する。川崎については、小川一朗 2003.『川崎の地誌ー新しい郷土研究』有隣堂.がある。これはなかなかによい。とりわけ工業の分布や移転に関する魅力的な図が多数掲載されている。近年の変貌について、牛垣雄矢 2008. 川崎市における地域構造の変化―産業と商業地の動向より-.地理誌叢49:16-33. があり、参考とした。

 JR登戸駅に集合。駅前東側を眺める。駅前広場を巡り2階建て木造の飲食店、飲食店が入ったビルが並ぶ。東京都心から放射状に伸びる鉄道と南武線との接合駅の中でも、溝の口や武蔵小杉に比べると、登戸駅における商業機能の集積は明らかに劣る。駅のすぐそばにおいても戸建て住宅が目立つ。駅前再開発が進行中とのこと、完成の暁には、どのような変貌がみられるだろうか。

 南武線に乗り、川崎方向へ。住宅、とりわけアパートと思しき低層の集合住宅が目立つ。時間の関係でパスした溝ノ口を過ぎると、規模の大きな高層マンションがここそこに現れてくる。武蔵小杉に近づくほどに、合わせて工場用地が増える。芝を敷き詰めた敷地に新しい瀟洒なビルが建っている場合が多い。先の2つの文献によると、各企業は生産の拠点を外部に移転し、研究会開発拠点を残しているとのこと。孫引きだが、川崎市における全産業従事者に占める教育・学術研究機関従業者の比率は13.6%で、なんと全国1位である(牛垣、2008)。川崎といえば何かを生産する工業、というイメージが強い。したがって、この「1位」には学生らも驚いた様子。

 武蔵小杉で途中下車。大学から生田緑地の向こうに見えるスカイラインがここである(と、いうと、学生らは、「あぁー、そうか、、、」。おいおい、地図なり実際に行ってみるなりして確かめろよ、と思う。ちなみに私は一度、大学の帰りに車で立ち寄り済み)。武蔵小杉は、元来、中原街道が多摩川を丸子の渡しで渡った後の街道沿いの町。この旧街道沿い周辺には、雑然とした昔ながらの飲食店が並ぶ。一方、東急東横線とJR横須賀線の間には、高層マンションが林立する極めて特異な景観がみられる。川崎まちづくり局によると、20階以上のマンションで11棟あり、現在1棟が建設中である。歩いてみると、これらが密集しているわけではなく、間隔をおいて建てられ、緑も多くゆったりとしている。武蔵小杉東急スクェア、グランツリー武蔵小杉、ららテラス武蔵小杉といった有名テナントが入った単価の高い商業施設も駅周辺に立地している。「ニコタマみたいですね」と一人の学生が言う。この感覚はよい。 なんでも武蔵小杉は、これまで神奈川県内の住宅地価1位の横浜市中区山手町を抜いて、1位となったという(要確認)。元々、東急で渋谷、目黒へ一本でアクセスでき、加えて、2010年、横須賀線の武蔵小杉駅ができて、品川・東京方面、そして、湘南新宿ラインで、渋谷・新宿・池袋へのアクセスもよくなった(南武線もあります!)。それに加えて、少数の企業が所有していた広大な土地があった。豊洲など湾岸エリアと似ている、と述べた学生がいたが、湾岸エリアでは、干拓によって広大な土地を獲得することができたわけである。

 武蔵小杉駅は、旧来、南武線ではグラウンド前駅、東急東横線では工業都市駅であったという。すなわち、東京という都市の拡大とともに、広い面積を必要とするグラウンドや工場が周辺へと移動し、武蔵小杉周辺にもそれらが立地していたことになる。さらなる都市化、都市の拡大により、そして産業構造の転換により、グラウンドや工場はさらに外方(あるいは海外)へ移動し、土地利用の変化、とりわけ居住地への転換が生じたといえる。ここにおいて、居住地としての大きなイメージの逆転があるといえよう。良好な(ハイソな?)住宅地としての武蔵小杉のイメージは、実際のアクセスの良さや住居の質の高さからだけではなく、デベロッパーによるマーケティング戦略によるところも大きいかもしれない。

 
 




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