2016年5月20日金曜日

チェーン店度:ドイツの商店街はどこも同じ?

 折に触れてドイツの街を訪れていると、その変化に気づかされる。あそこにあった模型を売るお店がなくなったり、伝統的な什器を売るお店が、モダンなデザインの食器を売るお店に変わったり、、、地場のお店がどんどん消え去り、代わって、ベネトンやらH&Mといったブランド店が、スタバやハードロックカフェといった飲食店が増えてくる。10万人規模の都市であれば、街並み、そして建築物は異なっていても、商店街に並ぶお店は金太郎飴のようにどこも同じ、という状況になりつつあるのではないか、、、
 昨年度、こうした問題意識から、M君が「ドイツ・ハイデルベルグにおける中心商業地の変容」という卒業論文を書いた。ドイツの各都市におけるチェーン店の立地状況を都市の人口規模毎に把握した上で、ハイデルベルクの中心商業地であるHauptstraßeの店舗構成をチェーン店の進出に注目し、現地調査によって明らかにしようとした力作である。
 チェーン店の進出は、ハイデルベルクにとどまらない。こうしたチェーン店の進出の度合いを、ドイツでは、Filialisierungsgrad「チェーン店度」という指標で示すことが行われている。Der Handel商業という雑誌のネット版(2011.05.18 https://www.derhandel.de/news/unternehmen/pages/Filialisten-Filialisten-draengen-in-die-Innenstaedte-7444.html)に、チェーン店がますます中心部に進出していると報じられている。
 以下が、この記事に掲載されているドイツ各主要都市におけるチェーン店度である。軒並み5割を越え、ドルトムントが74.6%と最も高い値を示しており、4分の3がもはやチェーン店となっている。この記事によると、2006年の時点からもっとも大きな変化を示したのがフランクフルトであり、2006年の50.9%から16.3ポイント増えている。フランクフルトでは、この間、ZARAやMiuMiu(Pradaの別ブランド)といったブランド店がドイツで初めて進出したという。このフランクフルトを含め、国際的なチェーン店の比率が高いのは、デュッセルドルフ、ベルリン、ハンブルクといった商業の中心としてよく知られる大都市である。


2008年の人口 国際的チェーン店 ドイツのチェーン店 地域のチェーン店 地元の店 チェーン店度2010年
Berlin 3,431,675 51,9% 13,4% 4,2% 30,5% 69,5%
Hamburg 1,772,100 47,3% 15,3% 3,4% 34,0% 66,0%
München 1,326,807 33,9% 12,7% 7,1% 46,3% 53,7%
Köln 995,420 41,4% 12,2% 6,3% 40,1% 59,9%
Frankfurt/Main 664,838 47,0% 17,7% 2,6% 32,7% 67,2%
Stuttgart 600,068 38,6% 18,0% 3,3% 40,1% 59,8%
Dortmund 584,412 43,5% 29,0% 2,2% 25,3% 74,6%
Düsseldorf 584,217 53,3% 13,1% 2,6% 31,0% 69,0%
Essen 579,759 36,1% 29,3% 2,7% 31,9% 68,0%
Bremen 547,360 41,3% 27,3% 3,5% 27,9% 72,0%
Hannover 519,619 36,2% 22,7% 5,4% 35,7% 64,3%
Leipzig 515,469 31,8% 20,1% 2,8% 45,3% 54,7%
Dresden 512,234 45,7% 21,7% 1,1% 31,5% 68,5%
Nürnberg 503,638 46,0% 20,9% 3,4% 29,7% 70,3%
Duisburg 494,048 28,1% 20,2% 7,0% 44,7% 55,3%

  興味深いことは、ミュンヘンにおいて、チェーン店度が53.7%と低く、かつ国際的チェーン店の比率も低いことである。この記事によると、ミュンヘンは特殊なケースという。ミュンヘンの旧市街は、多様な商店が立地するだけの十分なスペースがあるとともに、それらに対する高いニーズがある。したがって、国際的なチェーン店だけではなく、伝統的な家族経営の商店も成立しうるとのことである。
 はて日本において、ドイツと同じように「チェーン店度」で各都市を評価してみたら、どうだろうか?
  
 

2016年5月2日月曜日

社会主義都市、その後(1):クラクフ

 1990年代、ベルリンの壁の崩壊、そしてドイツ統一を追って、東ヨーロッパの旧社会主義国が政治経済の改革を推し進めていった。この改革を通して、第2次大戦後の社会主義時代に形成された都市や農村の特色がどのように変容Transformationしてきたのか、かっこうの研究テーマを与えてくれた。私も、プラハの街(市場経済化の進展に伴うプラハの都市構造の変化.地域研究 44:25-38.)や、ハンガリー南部の農村ハンガリー南部農村における農業生産協同組合の再編と個人農の動向.小林浩二・大関泰宏編著『拡大EUとニューリージョン』原書房,222-235.)でそうした変化を垣間見る機会をえた。大きな変革の時期を経た現在、 旧社会主義国の都市や農村は、あれからどう変わったのか、そして現在、どのような状況にあるのか、興味深い。

 2014年の夏、ポーランドのクラクフで開催された国際地理学会に参加した。クラクフはポーランド南部に位置し、1596年にワルシャワへ都が移されるまで、ポーランド王国の都が置かれた古都である。現在の人口は約76万、ワルシャワに次ぐポーランド第2位の都市であり、かつ科学技術の中心ともなっている(ちなみに、アルプス以北のヨーロッパでプラハに続いて2番目に大学が設置された街でもある。ドイツ語版Wiki)。そして、その旧市街は世界遺産にも登録されている。ちなみに、この街を最初に訪れたのは1996年のことであった。

旧市街の広場。向こうの建物が織物会館。

 2014年、クラクフの旧市街におけるメイン・ストリートや広場は多くの観光客で賑わっていた。メイン・ストリートには商店が並ぶが、それらの多くは、観光客向けの土産物屋か、ヨーロッパや世界に展開するチェーン店の支店である。ドイツやフランスなど、ヨーロッパ西部の古い町であれば減ったとはいえ存在する、入るのがためらわれるような、地場資本の重厚な衣料品店や装飾店などはない。こういっては失礼だが、旧市街の風格のある町並みに比して、そこにあるお店はどこにでもある軽いものである。経済の停滞していた社会主義時代において、いわゆる中産階級、あるいは富裕層が形成されず、彼ら向けの商店も欠落していた中で、改革以降、観光客の増大に対応して、観光客を主として相手にするような商店が中心部に進出してきたといえよう。

クラクフのメイン・ストリート
おなじみマクドナルド

ドイツ資本のドラッグストア。ドイツではどの街にもある。
旧市街にチェーン店をはじめとして商店が立地してきたとはいえ、その量も質も思ったほどではない。一方で、旧市街の外で、大型のショッピングセンターが開設されている。下の一枚目の写真は、旧市街の北東部に位置するクラクフ駅に隣接したショッピングセンターである。C&Aやカルフールなどいくつかのデパートやスーパー、SATURNといった電気製品の店に加えて、多くの小売店が入っている。そこでは旧市街に見られないような世界レベルの有名ブランドが軒を構える。また、郊外においても2枚目の写真のように巨大なショッピングセンターがいくつもある。衣料品にせよ装飾品にせよ、値の張る質の高いものは、旧市街ではなく、こうしたショッピングセンターで売買されているのではないか。この点において、ヨーロッパ西部の都市とは異なろう。

クラクフ中央駅。巨大なショッピング・センターを併設。手前が旧市街方向。駅の向こう側には、バス・ターミナルが設けられている。こうしたプランは西ヨーロッパと同じ。
旧市街から東方、Nowa Huta(「新製鉄所」という意味の街の名。この街に関しては次回)に向かう幹線道路沿いのショッピングセンター。この道路に沿って、他にもショッピングセンターがあり、また、オフィスビルの立地もみられる。

 もう一つ、ヨーロッパ西部の都市とは依然として異なる点があることに気がついた。それは、ある日、一人で夕食をとりにホテルから街に繰り出したときのことである。
  クラクフの旧市街を取り囲んでいた都市壁の一部が残り、今日、その外周を緑地帯と環状道路が走る。私は、この環状道路のすぐ外側に位置する米系チェーン・ホテルに部屋をとっていた(なぜこのホテルか?「ホテルの選択」についてはまた後日)。旧市街へ向かえば、観光客向けのレストランや飲み屋がある。が、それなりに値も張るし、一人ではつまらない。そこで、反対方向、新市街の方向へ歩いて行ってみた。地元の人が使う気軽なレストランを探してのことである。通常であれば(西ヨーロッパであれば!)、新しく形成された市街地の交通の結節点、すなわち、大きな交差点があって、バスや路面電車の乗り換え地点となっているようなところでは、スーパーやちょっとした店舗があって、レストランも数軒ある、はずである。ところが、周囲は住宅地であり、近隣のニーズに合わせて立地しているはずのものがなく、そうしたいわば小中心の形成は弱く、レストランもない。

  たまたま、訪れた旧市街から東の方向に店がなかっただけのことかもしれない。旧市街やショッピングセンターのレストランへ皆でかけるのかもしれない。が、居住者の所得水準からくる消費性向によるものとも考えられる。西ヨーロッパであれば、都心部に近い地区では、それなりに豊かな人々が居住しており、彼ら向けのレストランが成立しうる。しかし、クラクフでは、失礼な物言いかもしれないが、そうした層が同じような場所に住んでいない、あるいはそうした層がまだ厚くない、ともみてとれる。

 都市内部において、どこにどんな社会階層の人々が居住しているのか、そしてそれを背景として、どこにどんな商業・サービスの立地がみられるのか、「都市構造」とか都市の「商業構造」や「社会構造」(「構造」という言葉が地理学では安易に使われすぎている、という気がする。地理学で用いられる「構造」は二重の意味がある!)とか呼ばれるものが西ヨーロッパとは異なると思われるのである。