2020年5月15日金曜日

ドイツにおける新型コロナ・ウィルス

 今週からオンラインで授業が始まった。ライブであっても録画であっても、ただ喋るだけの授業はしないよう、お達しがあり、音声付きパワポ・ファイル、それと同じ内容のpdfファイルと音声ファイルを用意し、時折リアルなやりとりを交えつつ授業を行う。これが準備になかなかの時間がかかり大変である。ここにきて東京近傍でも全国でも、新型コロナの感染者数が減少してきている。このまま早く収束し、早くに通常通りの授業に戻ってもらいたいものである。

 さて、新型コロナの感染は欧米で著しい。ドイツでは、他のヨーロッパ諸国よりも被害は小さいとはいえ、多くの感染者、死者を出している。そして、ドイツでは、ロベルト・コッホ研究所がこの新型コロナの感染状況の把握や分析を担っている。コッホは、いうまでもなく結核菌などいくつもの細菌を発見し、ノーベル賞を受賞した細菌学者である。このコッホ研究所は、1891年、プロイセンによって彼を招聘して設立された研究所の後継である。現在は、ドイツ連邦健康省の傘下にあり、疾病、とりわけ感染症のサーベランス(監視・調査・情報収集)、評価、予防を担っている(https://www.rki.de/DE/Home/homepage_node.html)。従って、今回の新型コロナについても、このコッホ研が情報を集め評価を行っている。

 コッホ研は、毎日、ドイツにおける感染状況とその評価を「日報」として報告し、かつ、以下のように感染状況を可視化(グラフにしたり地図にしたり)している。

https://experience.arcgis.com/experience/478220a4c454480e823b17327b2bf1d4/page/page_1/

 さらには、 データをcsv形式やshp形式などで提供している。後者のshp形式であれば、GISのソフトで表示が可能であり、以下の図は、実際にこのデータをダウンロードし、地図化してみたものである。

2020年5月14日現在におけるドイツの市郡別10万人当たり感染者数の分布

  この図をみてみると、ドイツ国内で感染状況に大きな地域差があることがわかる。大きく、ドイツの東西(旧東ドイツと旧西ドイツ)で異なり、旧東ドイツで少なく旧西ドイツで多い。そして旧西独においても、南部バイエルン州とバーデン・ビュルッテンベルク州で明らかに値が高くなっている。こうしたドイツにおける感染状況の明瞭な地域差をどのように説明できるだろうか?極めて地理学的な課題である。

 日本における感染状況をみると、東京や大阪などの大都市とその周辺で感染が広がっており、人口が少なく人口密度の低い地方において感染はそうひどくはない。ドイツにおいても同様に、人口が多く人口密度の高い都市部において感染が拡大していると考えられる。実際、ドイツ西部は、都市化が進展し人口密度も高く、ドイツの経済の中核をなしている。一方で、ドイツ東部は一般に人口が希薄であり、おしなべて感染率が低い。東部で感染が多くみられるのは都市部、ベルリンとその周辺、そして、ドレスデンなど大都市が位置するザクセン州である。北部の周辺的なメクレンブルク・フォアポンメルン州では、感染者はあまりみられない。人口密度の高い都市部においては人の流動も多く、人と人との接触機会も多く、感染者を多くだしているのに対して、人口希薄な周辺農村においては、その逆であると想定されるわけである。

  ただ、よく図をみてみると、同じドイツ西部の都市化の進展した地域の中でも、ニーダーザクセン州やヘッセン州など人口当たり感染者数が少ないところもあれば、ドイツ南部バイエルン州やバーデン・ビュルッテンベルク州の中においても、人口密度の低い農村地帯で感染者数の多いところが多々存在していたりする。一概に、人口密度、都市化の程度のみで説明できるわけではないと考えられる。

 それでは他にいったい何で説明することができるのだろうか?ネット上で話題になっているのがBCG仮説である。これは、結核に対するワクチンが、他の細菌・ウィルスにも作用する訓練免疫という機能をもち、新型コロナをかかりにくくし、また、かかったとしても重症化を防いでいるのではないか、という説である(https://www.jsatonotes.com/2020/03/if-i-were-north-americaneuropeanaustral.html)。

 BCGは結核予防のワクチンであり、日本では、はんこ注射とも呼ばれ、現在に至るまで接種が義務となっている。実は、ドイツにおいては、旧東ドイツでは、第2次大戦後、BCG接種が義務化されたが、旧西独では、接種は推奨されていたものの、義務ではなかった。そして、単年度のデータではあるが、旧西独でもニーダーザクセン州ではBCG接種率が高く、バイエルン州やバーデン・ビュルッテンベルク州ではBCG接種率が低かったことが知られる(Kreuser, F. 1964. Tuberkulose-Jahrbuch 1962:94)。新型コロナの感染者数にみられる旧東西ドイツにおける差異、そして旧西独における南北の差異は、BCG接種の差異によって説明できる可能性がある。

 次の図は、ドイツとベルリンの2007年におけるインフルエンザ・ワクチンの接種状況を示している。
2007年のドイツにおけるインフルエンザ・ワクチン接種率
(出典:Riens, B. et.al. 2012. Analyse regionaler Unterschiede der Influenza-Impfraten in der Impfsaison 2007/2008.p.5 https://www.versorgungsatlas.de/fileadmin/ziva_docs/2/Influenza_Bericht_1.pdf)


2007年のドイツにおけるインフルエンザ・ワクチン接種率(出典:同上)

 この図自体、非常に興味深いものである。旧西独ではワクチンの接種率が低く、旧東独では高い。ドイツが統一して17年たった後も、あたかもそこに国境があるかのようである。ベルリンの図をみても、今でもベルリンの壁が厳然として存在しているかのようである。BCGだけではなくワクチン接種が義務化されてきた旧東独の人々は依然としてワクチン接種を積極的な受けいれている。一方で、旧西独では、ワクチン接種を忌避する傾向が強い。旧西独の南部、バイエルン州やバーデン・ビュルッテンベルク州では、さらに、インフルエンザ・ワクチン接種率が低くなっている。このように、ワクチン接種に対する意識、それに基づく接種行動に東西で明瞭な差異があり、この差異は過去におけるBCGなどのワクチン接種の差異を反映していると想定される。実はまた、この後、2009年の新型インフルエンザの流行も旧西独の方が旧東独よりも著しかったことがわかっている(https://www.welt.de/wissenschaft/schweinegrippe/article5311202/Achtjaehrige-an-Herzmuskelentzuendung-gestorben.html)。

 むろんある事象の分布とある事象の分布が類似しているからといって、両者に関係があるとは限らない。ましてや両者に因果関係があるとは軽々にいえない。この旧東西ドイツにおける新型コロナ感染の差異は、ドイツにおいても注目され話題になっているが、先のコッホ研究所の研究者も、BCG接種と新型コロナ感染の関係については、科学的に証明されているわけではないと述べている(https://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/bcg-impfung-wie-eine-tuberkulose-impfung-vor-covid-19-schuetzen-koennte-a-e42fa217-bc10-4c1a-890f-dd058177504e)。 とはいえ、その研究は進められている。翻って日本。欧米に比較して圧倒的に感染者数、死亡者数は少ない。それは、マスクや手洗いという衛生に気を配る習慣からだけで説明できるものであろうか。ドイツの例が示すように、義務化されているBCG接種が寄与している可能性はないのだろうか。専門家の方々の解明をまつものである。