2018年10月2日火曜日

地理屋と鉄ちゃん

 後期が始まる。今年の夏休みは、まずはブラジル・パラナ州にドイツ系移民の調査に入り、その足で(ブラジルから直に飛んで)オーストリア・東チロルにおいて、農村移住者、そしてEUの地域政策によるプロジェクトの調査を行った。久しぶりに一か月ほど日本を留守にしたことになる。帰国後も、学生らと大阪、そして軽井沢へ、学会で和歌山へとでかけ、腰の据わらない日々であった。ここに書けばよいであろう興味深い題材も多く得られた夏でもあった。そのうちに、、、、、といいつつ月日は過ぎる、、、閑話休題。

 地理学科の学生には、いわゆる鉄ちゃん、鉄オタが多い。加えて、地理学者にも、鉄の人が実は存外いる。この夏休み前、某所での地理屋さんによる某飲み会の際のことである。誰かが「ぼくは時刻表を毎月買っている」とさも当然のように宣う。すると脇から「この前、自分へのご褒美に、昔の時刻表を買いましたよ」とさりげなく返す、、、かくいう私もかつては彼らと同類であった(中学生まで)。鉄道雑誌(「鉄道ジャーナル」!)を定期購読して隅から隅まで読み、時刻表からダイヤグラムをおこしてみたり、北陸本線まででかけていって日がな列車を眺めていたり、父とレイアウトを作り鉄道模型を走らせてみたり、したものである。それも昔のこと、、、と、ある時、筋金入りの鉄の地理屋さんに、「ぼくはもう鉄は卒業しましたよ」と言うと、彼が応えるに、「それは卒業と言わない。落第だよ!」そうです、私は落第しました!

 ただ、北陸本線まで5kmほど歩いていって、雷鳥や白鳥など来る列車をドキドキしながら見ていた自分。何に心を動かされていたのか。485系やキハ82系といったハードとしての列車だけではないであろう(キハ82系は美しかった。今でも好きである。)。そうした列車が運んでくるあの山の向こうの世界、これからこの列車が向かうまだ見たこともない世界、それを列車に重ねて見ていたのはないか。未知なる世界へのあこがれ、好奇心が列車へのあこがれに転化していたのであろう。

 学問、あるいは科学。今日、とりわけ日本においては、世の中にそれがいかに役に立つのか、社会的な意義が求められる。しかし本来、それは、これを知りたい、わかりたいという人のもつ純粋な好奇心から行われる行為ではなかろうか。天文学者は、この空の向こうの世界、宇宙に思いをはせる。物理学者は、目の前の物質が一体全体、何でどのように構成されているのか知りたいと思う。翻って、地理学者は、海の向こう、山の向こうにどんな風景が、世界が広がっているのか、どんな人がどんな生活をしているのか、見たい、知りたいのであろう。そうした好奇心が地理学者をして、研究に駆り立てている。
 地理屋さんと鉄ちゃんは、見知らぬ世界へのあこがれ、好奇心をもつという点において同類ともいえよう。かくして地理学科に鉄の人がやってきて、そして、その中から地理屋さんが生まれることになる。地理屋に鉄の人が多いのも必然である。