2016年4月22日金曜日

ドイツ周辺の地震

 熊本の地震が一向に終息しない。亡くなられた方々にお悔やみ申し上げるとともに、被災され、避難を余儀なくされている方々にお見舞いを申し上げます。

 熊本近くに住む人によると、ずっと揺れが続くので、船酔いをしているかのような気分の悪さだという。安定した大地があってはじめて安寧もあろう。この点、ヨーロッパは安定しており地震もないといわれる。が、実は時折、地震が起こる。ドイツ連邦経済・エネルギー省のホームページ(http://www.bgr.bund.de/DE/Themen/Erdbeben-Gefaehrdungsanalysen/Seismologie/Seismologie/Erdbebenauswertung/Erdbebenkataloge/historische_Kataloge/BILD_germany_epic.html;jsessionid=3015E760CD05526E1332675790016C33.1_cid331?nn=1544984)に、西暦800年から2008年にかけて、ドイツとその周辺において発生した地震を強度別に地図に示すとともに(左図)、被害をもたらした地震を地図化している(右図)。この図をみるとケルンあたりからライン川に沿ってバーゼル周辺まで、シュトットガルト南のシュヴェービッシェ・アルプ周辺、ライプチッヒ南のゲラ周辺あたりで地震の発生が多い。合わせて、バーゼルから東へ、インスブルックを経てウィーンに至る帯状の地域でも地震がみられる。プレートテクトニクス理論によると、アフリカプレートとユーラシアプレートの境界が地中海を東西に走り、その北側にアルプスがやはり東西に延びる。アフリカプレートがユーラシアプレートに沈み込む動きからアルプスが形成されたのか、アフリカプレートとユーラシアプレートが衝突してアルプスが形成されたのか、よくわからない!が、いずれにしても、この図の南、イタリアでは地震が比較的多く、この図でもアルプスに沿って地震帯が存在する。アルプスの北においても、ライン地溝帯など構造線(断層帯)で地震が発生するようである。

 この地図では、地震の強度が示されているが、日本の震度とは異なり、ヨーロッパ地震強度EMS-92が用いられている。EMS-92は、人間の感じ方と建物の被害の状況に応じて、強度をⅠからⅫまで12段階に分けている。Ⅰは感じられない、Ⅴは、「強い」で、建物が揺れて、寝ている場合に起こされる。Ⅻは、ほとんどの建物が崩壊する壊滅的状況となる。右図は、強度Ⅵ(建物に軽い被害)以上の地震が示されているが、ケルンの西、フランクフルトからバーゼルにかけてのライン川流域、そしてウィーンやインスブルック周辺でもそれなりに地震の被害が過去にあったことがみてとれる。


  こうした過去における地震の発生状況をもとにして、ドイツ、オーストリア、スイスにおける地震の危険マップが作成されている( http://www.gfz-potsdam.de/sektion/erdbebengefaehrdung-und-spannungsfeld/projekte/bisherige-projekte/seismische-gefaehrdungsabschaetzung/d-a-ch/)。この図が掲載されているサイトは、ポツダムにあるドイツ地球研究センターのものだが、原図は、Grünthal, G., Mayer-Rosa, D., Lenhardt, W. (1998) Abschätzung der Erdbebengefährdung für die D-A-CH-Staaten - Deutschland, Österreich, Schweiz. Bautechnik 75(10), 753-767.にあり、作成方法が示されている。この地震危険マップには、先のⅠからⅫまでの地震強度に基づき、どこでどの程度の規模の地震が起きうるか示されている。ちなみに、この地図における数値は、50年間における90%の非超過確率で示されており、50年の間にこの値を越える地震が起きる確率が10%であるということである(私の理解が正しければ)。危険度が高いのは、当然だが、先に示したこれまで地震が生じてきたところである。

 オーストリア、チロルのインスブルックでもたびたび地震に見舞われてきた。したがって、下の写真に見られるように、 建物の柱の下部を前にせり出して補強をするなど、地震に備えてきた。日本で、いつどこで地震が起こってもおかしくないといえるが、ヨーロッパでも同じかもしれない、、、

インスブルックの旧市街。左の建物の隅の柱、右の向こう二番目の建物の柱、それぞれが通りにせり出している。


2016年4月13日水曜日

ライプニッツ地誌研究所の「今月の地図」(1)

 ライブニッツ地誌研究所IfLは、ライプチッヒにあるドイツで唯一の大学外の地理学研究機関である。現在、75名が従事し、年間予算は430万ユーロにのぼる。

 この研究所の起源は1896年にまで遡る。当初は、ライプチッヒ民俗博物館が、地質学者Alphons Stübel のコレクションを展示していたが、1907年に地誌学博物館として独立し、1930年代以降は研究にも従事した。第2次大戦後、1950年から、 Edgar Lehmannの指導の下で、ドイツ地誌研究所として旧東ドイツの中心的な地理学研究機関となる。1976年以降、科学アカデミーの中における、地理学・ 地生態学研究所IGGとなっていく。

 IGGの解体後、1992年に現在のかたちの地誌学研究所が設立される。ちょうどその年、この研究所を始めて訪れた時には、まだライプチッヒ博物館の中にあった。書庫も見せてもらったが、それまで見たこともない古書、地図類がところせましと並んでいた。1996年にライプチッヒ郊外の現在の場所に研究所は移転した。2003年にLeibniz-Institut für Länderkundeと改称する。ライプニッツLeibnizは、かの著名な数学者にして哲学者、研究所の位置するライプチッヒの出身である。

 この研究所は、今日、ドイツにおける地誌学研究の中心として、Beiträge zur Regionalen Geographie、Europa Regionalなどをはじめとする各種刊行物を発行している。

  さて、この地誌研究所のホームページhttp://www.ifl-leipzig.de/en.htmlの右に、「今月の地図」として、特定のトピックに関する主題図が掲載されており、定期的に入れ替わる。現在トップにある主題図は、ドイツのワイン生産に関するものである(http://aktuell.nationalatlas.de/wein-2_03-2016-0-html/)。

 なんでもEUでは、2016年からワイン用ブドウ栽培の認可制度を変更したとのことである。これまで、ワイン用ブドウは生産過剰の状態にあり、生産面積の拡大は認められなかったが、加盟国は、年間1%までの栽培面積の拡大ができるようになった.背景には、ワインの世界市場の変化、とりわけ、ヨーロッパ以外においてワイン需要が拡大し、ヨーロッパにとって新たな輸出のチャンスが増えたことがある。

 この地図をみると、ドイツにおけるワイン生産地帯(13の原産地認定ワイン生産地域がある)は、ドイツ南西部に集中している。なかでも、ライン川とその支流(モーゼル川やマイン川など)流域が主要な生産地域で、これらを含むラインラント・プファルツ州とバーデン・ビュルッテンベルク州でドイツワイン生産の9割近くを占めている。

 ドイツと言えば白ワインである(地図の凡例のWeßer Rebsortenが白ワイン Rote Rebsortenが赤ワイン)。しかし、近年、赤ワインの生産が伸びており、赤ワインの面積比率は24.1%(1999年)から35.1%(2014年)に増加しているという。

 そしてドイツの白ワインと言えばリースリングである(白ワインの一番上の黄色)。ドイツのワイン用ブドウ品種の4分の1がリースリングであり、ここ15年間、そのシェアに大きな変化はない。そして、リースリングが卓越して生産されるのは、13の生産地域のうちモーゼルとラインガウである。一方、他の白ワイン用ブドウ品種には大きな変化があり、グラオブルグンダー(ピノ・グリ)やバイサーブルグンダー(ピノ・ブラン)が著しく増加し、一方で、ミュラー・トゥルガウやケルナーが減少している。

 赤ワインで最も生産が多いのは、シュペートブルグンダー(ピノ・ノワール、凡例の赤)であり、南部、バーデン地方で高いシェアを占めている。近年、赤ワインで生産が伸びているのは、ドルンフェルダー(凡例のオレンジ)であり、赤ワインの中で栽培面積は第2位である。ドルンフェルダーは色の濃いワインで、元来は色づけのために他のワインに混ぜていたという。しかし、今日、現代的なワインとして人気を博している。

2016年4月5日火曜日

マップ・リテラシー

 マップ・リテラシーとは、地図を読み、使いこなす能力である。今日、カーナビやネットで、地図と身近に接する機会が増えてきた。だからといって、地図を有効にかつ適切に使えているだろうか?東西南北という絶対的な座標軸がもてなくなっている、そして縮尺の概念があいまいになっている、そうした問題が生じているのではないか、と思う。

 ノース・アップ、地図は北を上にしてみる。実はこれが重要である。私が大学に入った1年目の夏、地形学のI先生の調査のお手伝いで、北海道の手塩に連れて行ってもらったことがあった。むろん、地形図をもって歩く。彼が私に言ったことは、「地図は、今みている方向に合わせてぐるぐる回すのではなく、必ず北を上にしてみなさい。地図に合わせて逆に頭の中で現実を回転させなさい」。それ以来、彼の指示は守っている。こうすることで、絶対的な座標系の中で、そしてまた、町や村という大きなスケールでも、そして日本という小さなスケールでも、今、自分がどこにいるか位置づけることができ、自分が東に向かっているのか、南に向かっているのか、認知することができる。

 さて、カーナビやスマホの地図では、向かう方向に地図が回転するようにできるし、そのように利用している人も多かろう。これはこれで認識しやすく便利だが、絶対的な座標系の中で、自分を位置づけることはできない。右に曲がる、左に曲がる、、、常に相対的な位置の認知となり、様々なスケールにおける自らの位置づけも不可能となる。現代の便利な機器は「方向音痴」を増やすことになるのではなかろうか。

  次に、縮尺、スケールの問題である。カーナビで容易に地図の拡大縮小ができるし、グーグルマップなど、ネットの地図も大きくしたり小さくしたりできる。だが、今、自分がどれほどの縮尺で地図をみているのか、そうした意識が希薄であろう。地図は現実をある特定のスケールで縮小したものである。紙の地図であれば、2万5千分の1とか5万分の1とか、一定の縮尺の地形図しかなかった。福岡の街も、札幌の街も同じ縮尺で眺めていた。一方、ネットの地図では、福岡の街をどんどん拡大してみて、再び、縮小し、日本全体の地図にして、札幌近辺に移動して、札幌の街を拡大してみてみる。画面の隅にスケール・バーが示されているとはいえ、最初に福岡をみた縮尺と、今、札幌をみている縮尺が同じかどうかわからない!固定された縮尺で二つの街をみることで可能であった街の広がりの比較も、ネットの地図では容易ではないわけである。

 加えて、同じ15インチのディスプレイで地図をみるとして、そのディスプレイの解像度によって、縮尺と情報量が異なってくる。15インチであったとしても、XGA1024x768ドットとFHD1920x1080ドットでは、同じ範囲の地図を表示した時、縮尺は異なるし、同じ縮尺で表示した時に、表示される範囲は異なってくる。そして、どちらにせよ、ディスプレイで示される地図のもつ情報量は、印刷された地図がもつそれにはとてもかなわない。電子ブックが普及しつつあるといわれるが、パソコンやタブレット、スマホのディスプレイは印刷物の地図に容易に取って代わることはできないのではないだろうか、、、





 

2016年4月2日土曜日

ショッピング・センター「ハル・イン・チロル」

 インスブルックの隣り、列車で10分ほどのイン川沿いにHall in Tirolハル・イン・チロルという街がある。人口1万3千人ほどの小さな街ではあるが、かつてチロルにおいては、現在の中心都市インスブルック以上に極めて重要な都市であった。
 このハル・イン・チロルの地名の初出は、1256年である。ハルHallはHalに由来し、塩水泉や岩塩坑を意味する(ザルツブルク近くのハルシュタットHallstadtも同じ意)。当時、塩の産出がこの地の重要な生業であり、製造された塩は、ドイツのライン地方やシュバルツバルト(黒い森)地方、そしてスイスへ移出されたという(http://www.hall-wattens.at/de/hall-tirol.html)。岩塩坑というと、塩の塊を切り出していく、というイメージをもつが、実はそうではない。塩分を多く含んだ地層から流れ出る塩水を集めて、それを煮出して塩とする(従って、塩の生産には燃料とする大量の木材が必要であった)。
 1302年には、オットー公により、ハルは、インスブルックと同等の自治権を与えられ、その後、チロル北部で最大規模の旧市街を有するようになる。その後、1477年になって、チロル南部のメランMeran(高級保養地として知られる)から硬貨鋳造所が移転する。この鋳造所は1809年に閉鎖されるが、1975年、硬貨博物館において、鋳造が再開され現在に至る。そこでは、オリンピック記念硬貨や、ハル・タラーHaller Taler500年記念硬貨などがつくられた。このタラーは、1486年にハルで初めて製造された硬貨であり、それは広くヨーロッパに流通し、Dollarすなわちドルの語源ともなった。
 このように、塩の生産、硬貨の製造で重要な街であったが、ハプスブルク家マクシミリアン1世が、インスブルックに都を置くことで、チロルの中心はインスブルックとなっていく。今日、人口12万のインスブルックに対して、その10分の1しかないハル・イン・チロル、しがない田舎町になりさがったと思いきや、どっこい生きている!
 どういうことか、下のパンフレットをみていただきたい。表紙には「ショッピング・センター・ハル旧市街」と称されている。すなわち、街全体をショッピング・センターに模しているわけである。4月29日のブログで、「街全体がアウトレット・モール」として、ドイツの一つの街をアウトレット・モール会社がモール化している例を紹介したが、ここハルでは、既存の街全体を自ら一つのショッピング・センターとしてアピールしようとしている。2枚目の裏表紙は、よくある街の鳥瞰であり、観光名所を示しているが、3枚目は、ハルの街におけるカフェ、レストランなど飲食できるお店を示している。そして4枚目は、衣料品店や日用雑貨店を示す。まさに、屋内のショッピング・モールで配布されるパンフレットではないか! 

パンフレットの表紙 http://www.haller-kaufleute.at/

裏表紙:見どころ

カフェ、バー、ホテル、レストラン

衣料品店、日用雑貨店、書店
  このパンフレットをみると、それぞれの商店が中心の通りに集中して立地しているのではなく、街中に広く分散していることがわかる。実際、下の写真のように、横町にもブティックや工芸品店、レストランがみられる。しかも、それらの多くは新しく、近年、新規に立地したと見てとれる。こうした新規立地とともに、建物の改修も進み、いわゆるジェントリフィケーションが進行していると理解できよう。
 ハルは、こぢんまりとした中世の街をさながら一つのショッピング・センターとして機能させているかのようである。中世の町並みをそぞろ歩きながらのショッピング、、、それは屋根の下のショッピングにはない魅力であり、郊外型のショッピングセンターが増えるチロルにおいても、競争力があるのかもしれない。


ハルの町並み。イン・ザルツァッハ様式の建物が並ぶ。




広場では、週末に市が開かれる。ブラスバンドの生演奏も。



横町にある改修された衣料品店。

やはり横町のイタリアン。