14日、浦和駅前にて所用。次の目的地、四ッ谷に行くには時間があったので、はじめて上野東京ラインに乗る。先頭車両、11時も過ぎて空いていると思ったが、
けっこうな人で、座れないし、運転席にもかぶりつけない。上野駅で乗客の半数近くが降りる。ターミナル、乗換駅としての上野駅がどうなるのか興味のあると
ころであるが、地下鉄銀座線や日比谷線もあるし、商業の集積もある。それなりの拠点性は維持されていくことであろう。
上野駅からしばらくは徐行。御徒町付近で、3線のうち1線は従来からある電留線へ、上野東京ラインは2線になる。秋葉原を過ぎてからはけっこうな勾配の上
り坂となり、ビルの高層階を眺めつつ、神田からすぐにまた急な下り坂となり東京駅に至る。東京駅で降りる人よりも、そのまま乗車する人が多い。湘南新宿ラ
インも同様で、池袋、新宿、渋谷をスルーして乗り続ける人がけっこういる(だから座れると思っていても座れない!)。どうしても郊外から都心への移動が主
であると考えてしまうが、そうでもないらしい。彼らは、どこからどこへどういう目的で移動しているのだろうか。夕刻、向ヶ丘遊園から新宿行きの小田急に
乗ってもいっぱいの人である。ここでも、単純に郊外から都心への通勤・通学移動だけではなく逆の動きもあることがわかる。郊外は居住の場所のみならず、業
務機能、教育機能など多様な役割をもつ場所になっているのであろう。そこで、郊外から都心へ、そしてまた郊外から郊外へといった従来とは異なる人の流動が
生じているのかもしれない。
大学で教わったO先生の講義で覚えていることの一つに「ターミナル・コスト」がある。
列車が、ある都心の終着駅に着いた際には、乗務員の入れ替え、機関車の付け替えなど、時間と費用がかかる。都心の終着駅をスルーして、反対側の郊外まで列
車を走らせることで、コストを減らすことができて、効率化につながるという。彼の話を聞いて後、ドイツ、マンハイムの街に行き、その路面電車をみて、なる
ほど、と思った次第である。マンハイムの都心に四方の郊外から入る路面電車は、そのまま都心をスルーして、反対側の郊外へと至る。路面電車の場合は特に、
都心を終点にはするのは合理的ではないが。東京においても私鉄と地下鉄の相互乗り入れが始まり、やがて、ある方向からの私鉄と地下鉄と別方向への私鉄の相
互乗り入れが行われるようになってきた。そこでは、乗客にとって都心に直接アクセスできるというが強調されているようだが、運営する側の効率化ということ
もあるのだろう。JR東の都心スルー路線、湘南新宿ライン、上野東京ラインも同じ文脈でとらえることができよう。
と、
そんなことなど考えながら、自分自身は東京駅で降りる。せっかくここまできたので、丸の内のオアゾという奇っ怪な名前のビルにある丸善に立ち寄る。アマゾ
ンなどネットで本を買う機会が増えてきたとはいえ、並んでいる本を眺めて品定めをするのもまたよい。思いがけない本に出会ったりもする。Enrico
Moretti "The new geography of JOBS"を目にし、購入する。
2015年5月17日日曜日
2015年5月15日金曜日
道路
昨夕は学科による新入生の歓迎会。上級生が、工夫を凝らし、ユーモアの溢れる企画を催してくれた。車での帰宅だが、中央環状線は夜間工事のため渋滞。夜間で空いているだろうと、第3京浜で横浜までいき、湾岸線に入って戻ってくることとした。横浜も大都会、横浜ベイブリッジあたりからみるみなとみらいの夜景も、レインボーブリッジからの都心の夜景に負けず劣らず見事なもの。湾岸線も工事で大井から先は渋滞、1号線に入り都心環状線を時計回りで走ってくる。
慣れてきたとはいえ、首都高の走行はやはり怖いところがある。昨日も行きに危うく事故を起こしそうになった。 こういってはなんだが、合流のアプローチが短かったり、走行車線側に分岐があったり、道路の設計がそもそもよくないのではないか。それは一般道路にもいえることである。かつてドイツ滞在中、車(Opel Kadettというクラッチ板がすりきれてスピードの出ない車だった)を保有、運転してあちこちにでかけていた。その後、日本に帰って、日本で再び運転をしてみると、運転の怖いこと!幹線道路でも、脇道からの合流が次から次とある。2車線の道路の右側車線で、止まって、向こう側の店に入ろうとする車がある。冷や冷やの連続であった。振り返って、ドイツの道路がいかにうまくできていたかと感じ入った。ドイツ人は決して器用とはいえない。そんな彼らがスムーズに運転できるように道路が作られていると言うことである。へたくそなドライバー、注意散漫なドライバーでも、走行ができるように、「人間工学的」に考えて道路が作られているのではないだろうか。
あってはならないことではあるが、交通事故は起こした人の責任、ということになっている。運転するものが注意すべきことになっている。それでも、事故は起こる。起こしたくなくても起こってしまう。そうした事故のうち、もしも、道路の構造が違っていたら、より運転しやすい道路であったり、見通しのよい交差点であったりしたら、起こらなかったであろう事故は実は多いのではないか。個人の責任をおいておいて、なんでもかんでもを行政や企業の非にすることは好ましくはないが、交通事故の加害者、被害者双方のことを考えると、「走りやすい道路」、「ストレスをあたえない道路」を作っていくことは意味があろう。もし、もう一度、大学で学べるとすれば、やりたいことはいろいろあるが、この道路づくりはそのうちのひとつである。
慣れてきたとはいえ、首都高の走行はやはり怖いところがある。昨日も行きに危うく事故を起こしそうになった。 こういってはなんだが、合流のアプローチが短かったり、走行車線側に分岐があったり、道路の設計がそもそもよくないのではないか。それは一般道路にもいえることである。かつてドイツ滞在中、車(Opel Kadettというクラッチ板がすりきれてスピードの出ない車だった)を保有、運転してあちこちにでかけていた。その後、日本に帰って、日本で再び運転をしてみると、運転の怖いこと!幹線道路でも、脇道からの合流が次から次とある。2車線の道路の右側車線で、止まって、向こう側の店に入ろうとする車がある。冷や冷やの連続であった。振り返って、ドイツの道路がいかにうまくできていたかと感じ入った。ドイツ人は決して器用とはいえない。そんな彼らがスムーズに運転できるように道路が作られていると言うことである。へたくそなドライバー、注意散漫なドライバーでも、走行ができるように、「人間工学的」に考えて道路が作られているのではないだろうか。
あってはならないことではあるが、交通事故は起こした人の責任、ということになっている。運転するものが注意すべきことになっている。それでも、事故は起こる。起こしたくなくても起こってしまう。そうした事故のうち、もしも、道路の構造が違っていたら、より運転しやすい道路であったり、見通しのよい交差点であったりしたら、起こらなかったであろう事故は実は多いのではないか。個人の責任をおいておいて、なんでもかんでもを行政や企業の非にすることは好ましくはないが、交通事故の加害者、被害者双方のことを考えると、「走りやすい道路」、「ストレスをあたえない道路」を作っていくことは意味があろう。もし、もう一度、大学で学べるとすれば、やりたいことはいろいろあるが、この道路づくりはそのうちのひとつである。
2015年5月8日金曜日
また秋葉原
昨日は、野暮用にて秋葉原。そうでなくてもしょっちゅう来ている街ではあるが、ついでに、最近、訪れていないところにも足を伸ばしてみる。
外国人観光客の増加が話題となっているが、秋葉原も以前に比して その数は明らかに増えている。彼らは、中央通りのようなメインストリートだけではなく、その西の裏秋葉と呼ばれるような路地にも出没している。昨今、観光ガイドブックだけではなく、インターネット上の個人の情報発信源が、観光の際の重要な情報源となっており、観光客の行動も変化し、多様になっているのであろう。
彼ら外国人にとって、電気製品やアニメ、メイド喫茶などにとどまらず、活気があって雑然とした様もまた魅力だといえよう。猥雑なマーケットの雰囲気とハイテク、オタク世界の奇妙な融合、、、。歩いていて面白い、何か新たな発見があるのでは、と思わせてくれるような街はそうそうないであろう。
交通・通信技術の発達により、人や物資、そして情報が世界中を一気に駆け巡る時代である。世界各地において存在していた場所の個性が、やがては失れ、どの場所も同じようになってしまう、収斂して均質化するという見方がある、一方で、現代においては、技術革新によって、個人が個性をより発揮できるようになっている、それぞれが趣味やライフスタイルにおいてやりたいことをやることで、バーチャルな世界だけではなく、現実世界において個性ある場所が出現するという見解もある。 現代社会はどちらの方向に向かっているのか、地理学においても興味深い課題である。そして、秋葉原のような場所の生成は、何を物語ってくれるのだろうか。
外国人観光客の増加が話題となっているが、秋葉原も以前に比して その数は明らかに増えている。彼らは、中央通りのようなメインストリートだけではなく、その西の裏秋葉と呼ばれるような路地にも出没している。昨今、観光ガイドブックだけではなく、インターネット上の個人の情報発信源が、観光の際の重要な情報源となっており、観光客の行動も変化し、多様になっているのであろう。
彼ら外国人にとって、電気製品やアニメ、メイド喫茶などにとどまらず、活気があって雑然とした様もまた魅力だといえよう。猥雑なマーケットの雰囲気とハイテク、オタク世界の奇妙な融合、、、。歩いていて面白い、何か新たな発見があるのでは、と思わせてくれるような街はそうそうないであろう。
交通・通信技術の発達により、人や物資、そして情報が世界中を一気に駆け巡る時代である。世界各地において存在していた場所の個性が、やがては失れ、どの場所も同じようになってしまう、収斂して均質化するという見方がある、一方で、現代においては、技術革新によって、個人が個性をより発揮できるようになっている、それぞれが趣味やライフスタイルにおいてやりたいことをやることで、バーチャルな世界だけではなく、現実世界において個性ある場所が出現するという見解もある。 現代社会はどちらの方向に向かっているのか、地理学においても興味深い課題である。そして、秋葉原のような場所の生成は、何を物語ってくれるのだろうか。
2015年4月27日月曜日
渋滞
車にて出勤。行きはいつものように首都高5号線から中央環状線に入り、大橋JCTで3号、そして東名川崎で降りる。中央環状線が自然渋滞していたが、およそ1時間。順調な方といえる。問題は帰り。生田を出発するときには、ネット上の首都高渋滞情報とGoogleMapの交通状況の双方を確認するようにしている。今夕は、5号線下りが竹橋JCTと熊野町JCT間が事故で通行止め。当然に中央環状線も混んでいる。代替ルートとして考えられるのは、まず環八。環八もそれでなくとも夕方は混んでいて、渋滞を避けたつもりがまた渋滞の中に、ということになってしまう。次に中央環状線逆回り。3月7日に開通したばかりの区間を大井JCTまで行き、湾岸線を葛西JCTまで行って再び中央環状線に入るというもの。お台場の近未来的な風景を始め東京見物ルートであり、ベイブリッジ経由で都心環状線に戻ることもできる。が、ここも混んでいる。
ということで、初めてのルートを選択してみる。鶴川街道、武蔵境通りを経て、大泉JCTから外環にのるというものである。調布、三鷹、武蔵野、そして練馬と東京の西郊をたどるルートは、思ったよりも交通量は少ないし、片側2車線のところも多い。さすがに甲州街道や青梅街道を横切るところでは滞るし、信号もやたらとあるので、それなりに時間はかかるが、ストレスなく運転できる。両側は、緑も多く落ち着いた佇まいの住宅が広がり、深大寺の近くでは植木畑が、それから北では普通畑が住宅地の中に点在する。ちょうど夕刻、明かりをつけ始めた店舗の前を通学帰りの生徒や買い物帰りの女性が行き交う。人が住まう「まち」らしい光景。
西武新宿線を越えて先は、武蔵関に親類があり、ちょくちょく訪れていたので道もわかる。これまでなかった練馬大根の直売所があり、漬け物を売っていたり、、、知らないうちに街も変わっている。工事で入り口がわかりにくくなっている大泉JCTに入れば後はもうすぐ、、、トータルちょうど1時間半!
ということで、初めてのルートを選択してみる。鶴川街道、武蔵境通りを経て、大泉JCTから外環にのるというものである。調布、三鷹、武蔵野、そして練馬と東京の西郊をたどるルートは、思ったよりも交通量は少ないし、片側2車線のところも多い。さすがに甲州街道や青梅街道を横切るところでは滞るし、信号もやたらとあるので、それなりに時間はかかるが、ストレスなく運転できる。両側は、緑も多く落ち着いた佇まいの住宅が広がり、深大寺の近くでは植木畑が、それから北では普通畑が住宅地の中に点在する。ちょうど夕刻、明かりをつけ始めた店舗の前を通学帰りの生徒や買い物帰りの女性が行き交う。人が住まう「まち」らしい光景。
西武新宿線を越えて先は、武蔵関に親類があり、ちょくちょく訪れていたので道もわかる。これまでなかった練馬大根の直売所があり、漬け物を売っていたり、、、知らないうちに街も変わっている。工事で入り口がわかりにくくなっている大泉JCTに入れば後はもうすぐ、、、トータルちょうど1時間半!
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