2017年1月20日金曜日

境界の風景

 4年生の諸君も無事に卒業論文を提出し、後は口述試験をまつだけ。今年度もあとわずかである。学生諸君のブログは順調に更新され、彼らが国内外の様々なところにでかけ、得がたい経験をしていることがみてとれる。頼もしい限り。一方、私のブログは、半年以上、ほったらかしの体たらくである。
 先日、 大寒波が到来する中、安行から見沼にかけてエクスカーションを行った。今学期、M大学とS大学で農村地理学の非常勤をやっており、その講義の一環として実施したものである。とはいえ、M大から1名、S大から1名、ゼミ生1名、計3人、しかもそれぞれ4年生の参加のみであった。昨今の学生さんは忙しい。
 むろん、過去に何度か訪れている地域。だが、変化も著しく、時折訪れることで、新たな発見があって面白い。今回訪れた中でも、埼玉スタジアム周辺の開発が著しい。集合住宅や商業施設の立地に加え、戸建て住宅の建設も進んでいる。
 この埼玉スタジアム、実は旧浦和市の周辺、境界地帯に建設されたことは存外知られていないだろう。はずれだからこそ、開発の余地があったわけである。埼スタのすぐ東に綾瀬川が流れており、この綾瀬川は現さいたま市を構成する旧浦和市と旧岩槻市の境界をなしていた。このあたりでは、綾瀬川を渡る橋は一本しかなく、しかも車のすれ違いもままならない狭い橋しかなかったものである。それぞれの市において道路のネットワークが構築され、それぞれの市の周辺ということもあり、市と市を連結する橋や道路は建設されてこなかったといえる。それが、狭い橋も付け替えられて広くなり、新たな橋も建設され、旧岩槻市側においても宅地開発が進んでいた。合併して一つの市となることで、一体的な開発が行われるようになったわけである。
 しかし、旧岩槻市側の宅地開発の進む地区から綾瀬川に沿って少し北に進むと風景は一変する。水田の中に、鉄板の高い塀で囲まれた廃棄物処理場や資材置き場が点在する。こうした施設が立地するのも、旧岩槻市における周辺的な位置にあったからであろう。かつて、ダイオキシンで大騒ぎとなった通称「くぬぎ山」 もまた、所沢、狭山、三芳のちょうど境界地帯に位置し、産廃施設が多数立地していた。それぞれ、中心から離れた周辺だからこそあらわれる風景である。