2016年4月5日火曜日

マップ・リテラシー

 マップ・リテラシーとは、地図を読み、使いこなす能力である。今日、カーナビやネットで、地図と身近に接する機会が増えてきた。だからといって、地図を有効にかつ適切に使えているだろうか?東西南北という絶対的な座標軸がもてなくなっている、そして縮尺の概念があいまいになっている、そうした問題が生じているのではないか、と思う。

 ノース・アップ、地図は北を上にしてみる。実はこれが重要である。私が大学に入った1年目の夏、地形学のI先生の調査のお手伝いで、北海道の手塩に連れて行ってもらったことがあった。むろん、地形図をもって歩く。彼が私に言ったことは、「地図は、今みている方向に合わせてぐるぐる回すのではなく、必ず北を上にしてみなさい。地図に合わせて逆に頭の中で現実を回転させなさい」。それ以来、彼の指示は守っている。こうすることで、絶対的な座標系の中で、そしてまた、町や村という大きなスケールでも、そして日本という小さなスケールでも、今、自分がどこにいるか位置づけることができ、自分が東に向かっているのか、南に向かっているのか、認知することができる。

 さて、カーナビやスマホの地図では、向かう方向に地図が回転するようにできるし、そのように利用している人も多かろう。これはこれで認識しやすく便利だが、絶対的な座標系の中で、自分を位置づけることはできない。右に曲がる、左に曲がる、、、常に相対的な位置の認知となり、様々なスケールにおける自らの位置づけも不可能となる。現代の便利な機器は「方向音痴」を増やすことになるのではなかろうか。

  次に、縮尺、スケールの問題である。カーナビで容易に地図の拡大縮小ができるし、グーグルマップなど、ネットの地図も大きくしたり小さくしたりできる。だが、今、自分がどれほどの縮尺で地図をみているのか、そうした意識が希薄であろう。地図は現実をある特定のスケールで縮小したものである。紙の地図であれば、2万5千分の1とか5万分の1とか、一定の縮尺の地形図しかなかった。福岡の街も、札幌の街も同じ縮尺で眺めていた。一方、ネットの地図では、福岡の街をどんどん拡大してみて、再び、縮小し、日本全体の地図にして、札幌近辺に移動して、札幌の街を拡大してみてみる。画面の隅にスケール・バーが示されているとはいえ、最初に福岡をみた縮尺と、今、札幌をみている縮尺が同じかどうかわからない!固定された縮尺で二つの街をみることで可能であった街の広がりの比較も、ネットの地図では容易ではないわけである。

 加えて、同じ15インチのディスプレイで地図をみるとして、そのディスプレイの解像度によって、縮尺と情報量が異なってくる。15インチであったとしても、XGA1024x768ドットとFHD1920x1080ドットでは、同じ範囲の地図を表示した時、縮尺は異なるし、同じ縮尺で表示した時に、表示される範囲は異なってくる。そして、どちらにせよ、ディスプレイで示される地図のもつ情報量は、印刷された地図がもつそれにはとてもかなわない。電子ブックが普及しつつあるといわれるが、パソコンやタブレット、スマホのディスプレイは印刷物の地図に容易に取って代わることはできないのではないだろうか、、、





 

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