2016年4月2日土曜日

ショッピング・センター「ハル・イン・チロル」

 インスブルックの隣り、列車で10分ほどのイン川沿いにHall in Tirolハル・イン・チロルという街がある。人口1万3千人ほどの小さな街ではあるが、かつてチロルにおいては、現在の中心都市インスブルック以上に極めて重要な都市であった。
 このハル・イン・チロルの地名の初出は、1256年である。ハルHallはHalに由来し、塩水泉や岩塩坑を意味する(ザルツブルク近くのハルシュタットHallstadtも同じ意)。当時、塩の産出がこの地の重要な生業であり、製造された塩は、ドイツのライン地方やシュバルツバルト(黒い森)地方、そしてスイスへ移出されたという(http://www.hall-wattens.at/de/hall-tirol.html)。岩塩坑というと、塩の塊を切り出していく、というイメージをもつが、実はそうではない。塩分を多く含んだ地層から流れ出る塩水を集めて、それを煮出して塩とする(従って、塩の生産には燃料とする大量の木材が必要であった)。
 1302年には、オットー公により、ハルは、インスブルックと同等の自治権を与えられ、その後、チロル北部で最大規模の旧市街を有するようになる。その後、1477年になって、チロル南部のメランMeran(高級保養地として知られる)から硬貨鋳造所が移転する。この鋳造所は1809年に閉鎖されるが、1975年、硬貨博物館において、鋳造が再開され現在に至る。そこでは、オリンピック記念硬貨や、ハル・タラーHaller Taler500年記念硬貨などがつくられた。このタラーは、1486年にハルで初めて製造された硬貨であり、それは広くヨーロッパに流通し、Dollarすなわちドルの語源ともなった。
 このように、塩の生産、硬貨の製造で重要な街であったが、ハプスブルク家マクシミリアン1世が、インスブルックに都を置くことで、チロルの中心はインスブルックとなっていく。今日、人口12万のインスブルックに対して、その10分の1しかないハル・イン・チロル、しがない田舎町になりさがったと思いきや、どっこい生きている!
 どういうことか、下のパンフレットをみていただきたい。表紙には「ショッピング・センター・ハル旧市街」と称されている。すなわち、街全体をショッピング・センターに模しているわけである。4月29日のブログで、「街全体がアウトレット・モール」として、ドイツの一つの街をアウトレット・モール会社がモール化している例を紹介したが、ここハルでは、既存の街全体を自ら一つのショッピング・センターとしてアピールしようとしている。2枚目の裏表紙は、よくある街の鳥瞰であり、観光名所を示しているが、3枚目は、ハルの街におけるカフェ、レストランなど飲食できるお店を示している。そして4枚目は、衣料品店や日用雑貨店を示す。まさに、屋内のショッピング・モールで配布されるパンフレットではないか! 

パンフレットの表紙 http://www.haller-kaufleute.at/

裏表紙:見どころ

カフェ、バー、ホテル、レストラン

衣料品店、日用雑貨店、書店
  このパンフレットをみると、それぞれの商店が中心の通りに集中して立地しているのではなく、街中に広く分散していることがわかる。実際、下の写真のように、横町にもブティックや工芸品店、レストランがみられる。しかも、それらの多くは新しく、近年、新規に立地したと見てとれる。こうした新規立地とともに、建物の改修も進み、いわゆるジェントリフィケーションが進行していると理解できよう。
 ハルは、こぢんまりとした中世の街をさながら一つのショッピング・センターとして機能させているかのようである。中世の町並みをそぞろ歩きながらのショッピング、、、それは屋根の下のショッピングにはない魅力であり、郊外型のショッピングセンターが増えるチロルにおいても、競争力があるのかもしれない。


ハルの町並み。イン・ザルツァッハ様式の建物が並ぶ。




広場では、週末に市が開かれる。ブラスバンドの生演奏も。



横町にある改修された衣料品店。

やはり横町のイタリアン。




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