2016年2月28日日曜日

落語(2)

 年が明けていつの間にやら学期末。日本の暦と大学の学期には齟齬がある、と常々思っている。4月に新学期が始まり、調子に乗ってきたところで、ゴールデンウィークがやってくる。五月病とやらがいわれるが、休みが入ることで緊張が解けることもあろう。後期も後期で、年末年始でのんびりした後は、なんとなくオマケのような感じとなる。
 さて、再び落語である。相変わらず、通勤の際に聴いている。と、前回に指摘した笑いのツボにもう一つ付け加えたくなった。それは「逆転」である。弱いものが強く、逆に強いものが弱くなる主客逆転が笑いを誘う。「らくだ」で、恐い兄貴分に指図されていた屑屋が、お酒を飲むうちに、兄貴分に対して大口を叩くようになる。「初天神」では、ものを買ってくれと駄々をこねる息子に手を焼く父親が、息子に買ってやったタコ揚げに本人が子どものように夢中になってしまって、息子に呆れ果てられる。立場の入れ換わりがここにある。また、現実だと思っていたことが夢であったり(いわゆる夢落ち、たとえば「夢金」)、夢だったと思っていたら現実であったり(「芝浜」)、これもまた同種のものであろう。
 さて、落語は、道徳、倫理もまた伝えてきたと述べた。 合わせて、教育、伝承の役割も果たしてきたのではないだろうか。ご隠居に熊さんが、問いかけて、ご隠居が応える。それに対して、熊さんはまた頓珍漢な解釈をして応える。これがおもしろいわけだが、こうしたやり取りを通して、弥生は3月であることなど、言葉の意味を教授することになっているわけである。こうした語句に加えて、英雄譚、、合戦、和歌、川柳など、日本史や詩歌が落語の話の中にちりばめられることで、知らず知らずのうちにそれらが身についていくのかもしれない。落語初心者の勝手な解釈であり、落語家はそんなことはない、と否定されるかもしれない。が、意図しない効果というものはあるだろう。
 先日、本屋の漫画コーナーに、荒川弘の「百姓貴族(4)」を探しに行ったときに、「落語心中」という漫画を目にした。こんな漫画があるのだ、と第1巻を買う。最初にでてくる落語が「死神」。第2巻以降も買ってしまうかも、、、
 

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