2016年2月16日火曜日

山とナショナリズム

 世界遺産になっているベルン旧市街の南、アーレ川を渡ったところにアルプス博物館がある。行ったことがなかったので、時間の合間に行ってみることとする。周辺は閑静な住宅街、各国の大使館や歴史博物館などもある。受付で通常の展示をみたいというと、小さい規模の特別展しかやっていないという。展示する収蔵品はたくさんあるけれども、展示スペース改修中で展示されていないとのこと。せっかく来たので、その特別展をみることにする。
 「Triglavースロベニアとその祖国の山」という展示で、実際、こぢんまりとしたものであった。 さりながら、標高2,864メートルのTriglav山は、スロベニア国民のナショナル・アイデンティティのシンボルであること、すなわち、スロバニア国民をしてスロバニアへの帰属意識を醸し出す象徴であることを示す興味深い内容である(ちなみにスイスではマッターホルンがそうであるそうな)。展示解説に沿って紹介してみよう。
  Triglavという名は、「3つの頭」という意味であり、Triglavの三峰、すなわち、スロベニアにおいて「地」、「大気」、「水」を支配する三頭の神を示しているという。山が信仰の対象として捉えられているところは日本と同様であり、「三峰」としてみられているところも秩父の三峰信仰や、富士山の三峰としての表現とも共通して面白い。
 Triglavの初登頂は1778年に遡る。19世紀、Triglavを含むジュリア・アルプスにおける登山が盛んになるが、それは主としてドイツ人登山家によるものであった。そうした中、祖国のアルプスのドイツ化を憂いたある司祭が、Triglav山頂を購入し、1895年に避難小屋(3人用)を兼ねた金属塔を建てた。その後、司祭はスロベニア山岳会に、この塔と山頂を寄付している。
 第一次大戦前、 このジュリア・アルプス周辺は、ハプスブルク帝国とスロベニアの力がせめぎ合う場であった。山頂の金属塔に置かれた、先の司祭による挨拶を含む登頂簿はスロベニア語とラテン語で書かれていたが、このことは、ドイツ語圏の山岳家のしゃくに障った。ウィーンの山岳会のメンバーは、都合2度、ドイツ語の献辞を書くことを試みている。加えて、周辺に多くの山小屋が開設されたのは、国民意識の高揚、そして領土への要求を示すものであったという。
  第一次大戦後、スロベニア領土の3分の一がイタリアの手に落ち、ユーゴスラビア(当初はスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国)とイタリアの国境がTriglav山頂を走ることとなる。この山頂の国境を示す石が、ある時は数メートル、イタリア側へ、またある時にはユーゴスラビア側へ数メートル移動したという。それに合わせて、山頂の金属塔は、それぞれの国のシンボル色に塗り替えられた。
 第2次大戦後、Triglavは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の重要なシンボルとなる。国家にとって最も高い山であり、大きな意味を持つ山であった。ちなみに、山頂の金属塔は、赤色に塗られ、五星が飾られた。Triglavは、国民が一生に一度は登るべき山とされたという。
 1991年6月25日、スロバキアは独立を宣言する。Triglavの三峰は、スロベニアの国旗に描かれることとなる。スロベニアの写真家は、Triglav山頂付近をヘリコプターで飛び、新国家を具現化する山頂にはためく旗を撮影した。この写真は、独立を伝える新聞の一面に掲載されている。
  かように、Triglavは、それぞれの時代時代において、国への帰属意識を持たせ、かつ高める存在であり、また、国民を一体化する装置として用いられてきたともいえる。日本における富士山も同様の意味をもつであろう。

特別展入り口の案内掲示


Triglav山頂の金属塔のレプリカ。このグレーがオリジナル

右下。社会主義時代のTriglav山頂の金属塔

スロベニアの写真家による「Triglav山頂にはためく国旗」

スロベニア独立を伝える新聞に示されたTriglav山頂にはためく国旗


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