我々の世代の若かりし頃、ドライブと言えば、ユーミンとか稲垣とかが定番(人によってはオフコース。オフコースなんていい年をしてめめしい、と思っていたが、いい年をしてあんな風にジタバタするのが人生なのだと、いい年になって思う。)。そして今、いい年になって車に乗って聴いているのが落語である。
落語と言えばまず笑い、滑稽話であろう。かつて読んだ井上ひさしの「ブラウン監獄の四季」。彼が、NHKの仕事をしていたころのエピソードを綴ったエッセーで、クスッと笑ってしまう、とても面白い本である。この本の中に、今で言う「お笑い」の台本を作る中で、どうしたら笑ってもらえるか悶々と考えたという話がある。それによると、笑いを誘うひとつに「なぞりと失敗」があるという。ある人が何かをやる。それをまねして他の誰かが同じことをやってみるが、そこで失敗する、、、ここに笑いが生まれる。ドリフターズを例に出していて、ドリフのメンバーが同じことを次々やっていく中で、一人が違うことをしたり、失敗したりすることで、どっと沸くことになる。
落語の笑いの多くも実はこれである。ご隠居に教えられたように熊さんがやって失敗する、という話。よく知られた「時そば」がまさにこれに当たる。「お化け長屋」は、同じ物言いに対して、異なる人が異なる反応をする話であり、同じ質の笑いである。
加えて、「コミュニケーション・ギャップ 」。「百川」や「金明竹」などがこれに当たる。方言を十分理解できずに違う意味で捉えて、間違いが起きるわけである。漫才においても、ぼけとつっこみがつくる同じようなコミュニケーションのズレが笑いを誘うといえる。
「なぞりと失敗」であれ「コミュニケーション・ギャップ」であれ、調和的に整然と進行するはずの行動や会話において生じるズレが笑いを誘う。このことは洋の東西、時代を問わず同じではなかろうか。落語は、普遍的な笑いを提供してきたといえるだろう。したがって、落語を、たとえば英語に訳したとして、英語圏の人々に笑いをもたらすことができる。(はて現在の日本のテレビの「お笑い」はそんな普遍性を有しているだろうか?)
一方で、人情ものの落語はまた、人の生き方の手本、道徳、倫理もまた伝えてきたといえよう。「井戸の茶碗」のように正直、実直であることや、「芝浜」にみられるまじめに働くことの大切さ、「文七元結」における自分の身を削っての人助け、、、江戸時代に成立したとされる落語は、当時において良しとされる生き様、価値観を反映し、かつそれを人々に伝え広めてきたともいえる。今日においても落語の人情話を聞いて共感できるのは、当時の人々と同様の価値観を共有しているからであろう。そしてそれは、日本固有のものであろうか、あるいは普遍的なものであろうか?
明日は出勤日。さて、何を聴いて参ろうか、、、
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