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2023年11月13日月曜日

あついウィーン!

  コロナ禍の中、海外へでかけることもままらなかったが、この2月にハンブルクやベルリンへ、そして、8月から9月にかけてウイーンとチロルを訪問する機会をえた。8月のお盆過ぎに、まずウィーンに行く。夏にヨーロッパに行く楽しみの一つは、暑い日本から逃れられるということであった。今夏の猛暑から脱出できると、いざウィーンに乗り込んでみると、いやはや暑いこと、暑いこと、、、日本と同じような暑さである。ウィーン市当局が高温注意報を出していたほどである。

 ウィーンは、チェコのプラハよりも東にあり、実はヨーロッパでも内陸に位置する。大西洋から離れており、大陸的な気候を有し、それなりに夏は気温が上がり、冬は冷え込む。過去にウィーンを訪れた時にも、エアコンのないホテルで、窓を開け放していても暑くて寝つかれなことがあったし、エアコンがなく蒸し風呂のようになった路面電車を顔を真っ赤にした運転手が運転していたこともあった。むろん現在では、ホテルもエアコンがつくようになり(むろん、ないホテルも)、路面電車や地下鉄にもエアコンが装備されるようになった(ついていなかったり壊れているものも!)。ただ石畳の道の照り返しの強さは相変わらずで閉口する。

 今回はウィーン中央駅近くに宿をとった。ウィーンにもともと中央駅はなく、かつてのウイーン南駅が改修されて2014年に中央駅とされたものである。ヨーロッパの主要都市では、町の中心に鉄道が乗り入れず、都心の周辺に行きどまりのいわゆる頭端式の駅が設けられる場合が多い。ウィーンの場合、西の方からの路線の頭端式の終着駅がウィーン西駅、南方からの路線の終着駅がウィーン南駅であった。これらの駅は、ウィーンの外環状道路に面している。この外環状道路は、かつては、オスマントルコとの戦争に備えて設けられた第2防御壁の跡地である。ちなみに、内環状道路は旧市街のすぐ外側を走り、リングRingと呼ばれ、両側に王宮や美術史博物館、歌劇場が面している。このリングは、かつては、やはり防衛のために設けられていた幅450mの空き地、緩衝地帯であり、後の都市計画によって環状道路と施設が整備されたものである。ウィーンの街の拡大はまず、このリングとなった緩衝地帯と第2防御壁の間で生じ、鉄道駅も当時の街の縁に造られたといえる。

 ウィーンはオーストリアの国土の東のはずれに位置している。そして、第2次大戦後の冷戦時代、ウィーンは鉄のカーテンのすぐ西、ヨーロッパの西側陣営のはずれに位置していたといえる。私がウィーンを最初に訪れたのは、1986年のことであるが、なんとく老成した活気の感じられない印象をもったものである。当時は、ウィーン西駅が、オーストリア西部からの列車、そしてドイツからの列車の終着駅となり、発着本数も多く、周辺にホテルも立ち並び、ウィーンの玄関口という趣があった。ところが、である。2014年、ウィーン南駅がウィーン中央駅に改修され、ウィーン中央駅が主要な列車の発着駅となり、ウィーンの玄関口にとってかわった。オーストリアの西、インスブルックやザルツブルクからの特急列車、ドイツからの国際列車、チェコやハンガリーからの国際列車も、この中央駅の発着となり、さらには、これらの列車の多くが、ウィーン空港まで運行するようになった(参照:Combined Transport)。行きどまりの頭端式ではなく、通過式の駅となり、ウィーンにおける接続がよくなっただけではなく、各地から鉄道による空港へのアクセスが確保されたことになる。こうした通過式の中央駅の設置は、ウィーンだけではなく、ベルリンでなされ、シュツッツガルトでも進められているなど、ヨーロッパ各地でみられる。

 こうした中央駅の設置は、 単に交通ターミナルの集約にとどまらない意味をもつ。まず、新しい駅は、多層階で、さながらショッピングセンターのように多くの店舗が配置される。ウィーン中央駅は、BahnhofCity「駅の街」と称して、2万ヘクタールの売り場面積をもち、約90の小売店舗とレストランを有する。こうした店舗群は、駅を利用する人々だけではなく、ショッピング自体を目的にした顧客を想定している。それは、600台分の駐車場が用意されていることからもみてとれる。ちょうど日本のJR東日本のecuteのようなものであり、駅ナカにおける商業施設の併設は、やはりヨーロッパ各地で行われていることである(参照:ショッピング・ステーション)。

ウィーン中央駅
ウィーン中央駅正面入り口

 
ウィーン中央駅構内

  駅ナカに加えて駅チカ、駅自身だけではなく駅周辺の開発により、オフィス地区や住居地区が配置されている。というのも、頭端式から通過式に駅を改修することで、また、貨物駅を廃止することで、それまで多くの面積を占めていた鉄道用地の他用途への転換が可能になったからである。ウィーン中央駅の場合、駅周辺のベルベデール地区はオフィス街とされた。いくつかの開発区画があり、エルステ・グループ銀行の本社を中心としたErste Campus、STRAUSS & PARTNER開発による、オフィスに加えて、ホテル、住宅、ショップをもつベルヴェデーレ中央地区(QBC)、SIGNA 不動産開発によるThe Icon Viennaもオフィスに加えて、店舗、会議場などを有する。このように中央駅周辺に業務機能もまた集積をみている。

ウィーン中央駅の向こうにオフィス・ビルを望む 

オフィス地区

  さらに、中央駅の南、駅から少し離れたゾンネンヴァンド地区Sonnwendviertelでは、5500戸の住宅、13000人の居住人口、2万人の雇用をもつ職場、商業施設、学校、公園など、ひとつの新しい街が建設されつつある。駅とその周辺に再び、都市の機能を集積させようという試みであるといえる。かつてのウィーンとは違う。ウィーンの街は一方でまた熱い!

 

 

 

2016年3月1日火曜日

ゴッタルド・トンネルその後

 28日(日)に行われたゴッタルド・トンネル建設を巡るスイスの国民投票の結果だが、賛成が188万、反対が142万、賛成が57%を占めて、2本目のトンネルが掘られることとなった(Tages Anzeigerというスイスの新聞のサイト http://www.tagesanzeiger.ch/schweiz/standard/resultate-gotthardroehre/story/20844341)を参照)。
 このTages Anzeigerのサイトをみてもらいたのだが、スイスのcanton州ごとの投票結果が地図で示されていて、州ごとにどこで賛成が多かったか解説している。それによると、反対が多かったのは、スイス西部のジュネーブ州とヴォー州(ローザンヌが州都)の2つだけであった(件のゴッタルドから遠い。そしてフランス語圏)。賛成の比率が69%と最も高かったのは、シュヴィーツ州とアールガウ州(ドイツ語圏)であり、当事者ともいえるウーリ州やティチーノ州では賛成が多数を占めたがそれほどでもなかった。これらの州では、世論が賛成反対、二分されたという。さらに、トンネルの南ティチーノ州ではゲマインデ(市町村)ごとに意見が分かれ、トンネルの出口に位置するアイロロでは76%が賛成だったが、反対が多数のゲマインデもあった。
 28日の国民投票では他のテーマについても投票がされている。こうした政策に対する評価、意識がスイス国内の場所ごとに如実に異なることが面白い。加えて、新聞などメディアも、主題図を多用して、地域差に注目し、解説している点も興味深い。スイスだけではなく、ドイツのメディアも同様であり、日本のメディアにおける地図の利用とはずいぶんと差があるように思う。確実に各メディアは地図の専門家カルトグラファーを使っている。頻繁に主題図がメディアに載ることで、読者の地図の見方や使い方、いわゆるマップ・リテラシーを高めることになるのではないだろうか。

2016年2月26日金曜日

ショッピング・ステーション

 「EUでは、、、」という言い方と、「ヨーロッパでは、、、」という言い方と、適当に使ったりしているが、むろん厳密には区別しなくてはいけないであろう。今回、久しぶりに訪れたスイスはヨーロッパに位置するが、EUには加盟していない。とはいえ、他のEU加盟のヨーロッパ諸国にみられると同様の都市や農村の変容があり、都市計画や地域計画において同様の方向性を有しているように思えた。(逆にEUに加盟していないスイスならでは、という特色にどんなものがあるだろう?)


  今回、スイスでは、チューリッヒ空港駅からベルン駅に降り立ち、ベルン駅からインスブルック駅に行く途中で、チューリッヒ駅で乗り換えをした。ベルン駅もチューリッヒ駅もとてもきれいに改修されており、同時に、駅構内に、それぞれ地下部分(ベルンでは駅ビルの2階、3階にも)に、多くの店舗が設けられていた。このように駅に多くの店舗が、まるでショッピング・センターのように配置されるのは、ドイツやオーストリアなど他のヨーロッパ諸国でもみられることである。


ベルン駅地下。中央は、中世都市の遺構。

遺構を活かしたカフェテリア。
チューリッヒ駅コンコース。この地下が下の写真。

チューリッヒ駅の地下。まるで地下商店街のよう。

 1992年に初めて旧東独のライプチッヒを訪れた時に、中欧最大とうたわれたライプチッヒ中央駅は、薄汚れていて改修工事の真っ最中であった。ところが、その後、再訪した際には、見違えるように駅はきれいになり、加えて、駅舎の地下2階、3階部分が、多くの店が並ぶモールになっていた。同じように、駅を改修して店舗をおくことは、その後、ドイツのあちこちの駅でみられたことである。

 日本でも、たとえばJR東日本がecuteと称して、駅ナカの商店街をつくろうとしているが、同じようなことが日本に先行してヨーロッパでもなされてきたといえる。 背景にあるのは、ひとつには店舗の営業日の規制である。近年、ずいぶんと規制が緩和されてきたとはいえ、日曜祝日の営業は、多くの国で規制されており、できたとしても年間何日とか定められている。ただし、例外があって、駅や空港、あるいはガソリンスタンドは、日曜祝日でも営業が認められてきた。旅行者、移動する人々の便宜を図るためである。したがって、お店があったとしても、サンドイッチや飲み物を売る店があったり、スーパーがあったとしても、規模も小さく品揃えも少なく、必要最小限の需要を満たすだけのものであった。ところが、上述のような駅の改修によって、街の商店街に並ぶのと同じようなお店が立地するようになってきたのである。スーパーにしても、本格的な品揃えの床面積の大きなものがみられるようになった。日曜日、街の商店街のお店はどれも閉まっている、しかし、駅の中のお店は開いている、しかも、街の中の店と変わらない、となれば、駅にお客さんはやってくることになる。駅におけるこのような商業機能の集積は、店舗の営業規制の網をくぐり抜けるように進行してきたともいえよう。


インスブルック駅の地下。右手に本格的なスーパー。週末はレジに列ができる。奥は駐車場。ここでも鉄道と自動車の接続が図られている。

  駅は今や、その町において主要な商業集積地のひとつとなりつつある。そして、交通のノード、結節点として駅の機能強化が図られているともいえる。「ショッピング・ステーション」という表題はミスではない。駅がショッピング・センターやモールのようになっている状況は、まさに、「ショッピング・ステーション」と称してよいのではないか。こうした駅への商業集積によって、消費行動が変化し、加えて、町の商業の分布なども変化するかもしれない。加えて、駅への機能の集中は商業にとどまらず、業務機能においても見られることである。これについてはまた今度。

 
最近、改修が終わったウィーン西駅。外見は昔とそんなに変わらない。向こうはオフィスビル(一部、商店)。



ウィーン西駅構内。きれいになったものだ。


地下2層がショッピング街となっている。



  
 



2016年2月21日日曜日

ヨーロッパを安く移動する(2)

 さて、前回は鉄道やバスによる長距離移動において安く移動する方法について述べた。一方、ヨーロッパにおいて各都市において、バスやトラム、地下鉄などを1枚のチケットで、また一日券や3日券で格安に乗車できるシステムがあることはよく知られている。ドイツではVerkehrsverbund運輸連合という組織のもとで、こうしたシステムが運営されている。この運輸連合のあり方の詳細については、土方まりこ 2010. ドイツの地域交通における運輸連合の展開とその意義. 運輸と経済 70(8):85-95.(http://www.itej.or.jp/assets/www/html/archive/jijyou/201008_00.pdf)において紹介されており、この文献の95ページにドイツにおける運輸連合の分布図が、ドイツ鉄道アトラスに基づいて示されている。ここであまり注目されていないようであるが、興味深いと思えるのは、個々の運輸連合の領域が拡大しているのではないかということである。分布図をみると大都市ほどその運輸連合の管轄域が広い。都市圏の拡大に伴って実際に運輸連合は拡大してきたのか、変化プロセスを追ってみてもおもしろいかもしれない。

 一回券にせよ一日券にせよ、ある都市圏における交通においてはゾーン制がとられており、街の中心、旧市街あたりだけであれば安く、都心から離れたところへ行こうとするほど当然であるが高くなる。とはいえ、前述のように、運輸連合の範囲が広くなっているので、うまくチケットを使えば思いの外安く、遠くへ小旅行が可能となる。たとえば、ドイツの大学都市ハイデルベルクを含むライン・ネッカー運輸連合を例にとってみよう。ここに3、4日滞在するとしてライン・ネッカー圏全体の交通(路面電車やバス、国鉄など全て、特急を除く)を利用できる3日券を42.3ユーロで買う。これでハイデルベルク市内全域を自由に乗り降りができるし、マンハイムに足を伸ばして、トルコ人街でトルコ料理を味わい、さらにドイツ・ワイン街道まで、郊外電車か、とことこ走る路面電車ででかけてワインを楽しむこともできる。

 もっと広い範囲をカバーする運輸連合が、チロル州運輸連合であり、チロル州全体を管轄する。1週間のチケット54.6ユーロで、チロル中の鉄道、バス、トラムなどが利用可能である。チロルはけっこう山の中までバス網が設けられているので、使い出がある。インスブルックに滞在しつつ、西は、フォアルベルクの手前のスキーリゾート、サンクトアントンまででかけたり(夏もゴンドラが運行していてアルプスの雄大な風景が堪能できる)、東はチロル有数の高級リゾート、キッツビュールの町歩きを楽しんだりすることができる。チラータルの軽便鉄道に乗ったり、イン河谷の崖を登っていくインスブルックからゼーフェルトに至る眺望のよいルートをいくこともできる。また、オーストリアでは、特急料金というものがないので、チロル内であれば、RailJetと称するオーストリア国鉄の特急や、チロルを通過する国際特急ECなども利用できる(日帰りであれば身軽なので、ゆったり食堂車でビールを飲みながらチロルの風景を堪能できる)。

 かように都市内という近距離のみならず、中長距離においても、うまくチケットを使うことで、安く移動が可能である。このことは、旅行者のみならず、そこに住む人々にとっても同様であり、安価にモバイル(移動)できる環境があるわけである。



 

2016年2月19日金曜日

ヨーロッパを安く移動する(1)



 ヨーロッパを歩いて目につく言葉の一つがモバイルmobilである。ある場所から様々な場所へ容易にモバイル、すなわち移動できるシステムをつくることが都市計画、地域計画において目指されている。先に紹介したcombined transportもまさにモバイルのためである。
 短時間で到達できることや、移動手段の運行の間隔が短く本数が多いこと、また、運行が朝早くから深夜にわたり長いことなど、移動の確保にとって重要であろう。加えて、安価に移動できることもまたポイントである。

 今回、チューリッヒ空港に降り立ち、空港駅の窓口にて、ベルン行きの切符を買った。休暇(カーニバル)で混んでるから1等車にしたら、と駅員は勧めたが、むろん2等でよいと応える。それでも、ベルンまでの1時間余りの乗車が55スイスフラン!けっこうな値段である。飛行機は遅延の可能性も高いため予めチケットを買うのにはリスクがあるので、到着後に購入した。が、その後の、ベルンからチューリッヒを経てのインスブルック、インスブルックからミュンヘンの列車の切符は予めネットで購入しておいた。オーストリア国鉄のホームページで前者は45ユーロ、後者は12ユーロであった。しかも双方とも1等車である。ヨーロッパの多くの国の鉄道は、かようにネット上で列車を検索し、かつ席の予約、購入ができ、そしてチケットの印刷ができるようになっている。日本で印刷したチケットをもっていって、車内検札の時にみせればよいだけである。しかも繁忙期と閑散期で、そして一日のうちでも時間によって、同じ区間の値段が列車によってずいぶんと異なり、安いチケットはべらぼうに安い!航空券などと同様に、需要に応じてフレキシブルに値段を設定しているのであろう。日本では基本的に価格は年中一定、そして、ネットで予約はできるもの発券は駅でしなくてはならない。なんとかならないものであろうか。

 一等はぜいたく、と自分も思うが、二等と値段はたいしてかわらない。一等にするメリットは、まず、すいている。二等もよほどのことがないかぎり座れないことはないが、席を探すのに苦労することはある。合わせて、盗難などにあうリスクがとても小さくなる。二等であれば、一人で乗っている時など、荷物を置いてトイレにいくのも不安になることがあるが、一等であれば、まだ安心である(それを狙う輩がいるかもしれないが)。もうひとつ、一等に乗るのであれば、駅に設置されているラウンジを利用できる。スイスでは、チューリッヒとジュネーブにしかないが、オーストリアやドイツでは主要駅に設けられていて、コーヒーなどを飲みながらゆったりと列車を待つことができる。基本、駅はいかがわしく犯罪も多い、という印象をもっている(昔とちがってずいぶんとこぎれいになったが)。ラウンジにいることで、リスクも低減できるわけである。

 インスブルックからミュンヘンの12ユーロはとても安く、格安のバス並みである。昨年、インスブルックからミュンヘン空港までバスで移動したが同じような値段(8ユーロ)であった。実は今日、ヨーロッパにおける都市間、地域間輸送において、こうしたバス輸送が大きな役割を担っている。それは、国内の移動のみならず国際的な移動においても同様である。バスにおいても鉄道と同じように、需要に合わせてフレキシブルに料金設定がなされている。バスも鉄道と同様、ネットで時間を検索し、即、予約が可能であり、やはり、需要に応じて価格が変わる。昨年、利用したのは、MFB MeinFernbusという民間バス会社のバスであった。このMFB MeinFernbusは、2011年に設立されたベルリンに本社をもつ会社である。ドイツ国内のみならず国外の諸都市とのバス路線を開設し,ドイツの長距離バス市場における最大の会社にまでなった。2015年、この会社は、Flixbusという他のバス会社とバス路線網を統合する。2014年、前者は720万人、後者は350万人の乗客を運び、両者合わせてドイツの長距離バス市場の約半分を占めるという(WikiとそれぞれのHP)。

 こうした民間バス会社が勃興し、長距離バス市場が伸びてきた背景に、ドイツにおいて2013年に行われた長距離バス市場の自由化がある。2013年には86路線だったのが、翌2014年には221路線に増え、バス利用者も急増したという(Die Welt 2014.2.26.http://www.welt.de/wirtschaft/article125217462/Deutsche-koennen-aus-gut-200-Fernbus-Routen-waehlen.html)。たとえば、今、MeinFernbus/Flixbusのサイトで検索してみると、ベルリンからミュンヘンまで約7時間、22ユーロであった。そして何と2月19日一日で片道18本が運行されている。ミュンヘンからプラハは、最安値が19ユーロ、最高値が40ユーロで、同日8本がある。こうしたバス路線の拡充に合わせて、バス・ステーションの整備も行われている。以下の写真は、ミュンヘン中央駅近くのミュンヘンバス中央ステーションである。ミュンヘン中央駅は、折り返しのいわゆる頭端式ホームを持つ駅で、線路は駅の西に続く。この駅から西に伸びる線路の北側が再開発によりオフィスビルが建ち並ぶようになったが、この一角にこのバス・ステーションはある。新たに隣接してSバーンの駅も設けられ、ここでも異なる輸送手段間の接続combined transportが図られていることがわかる。

 日本も同様の自由化を行ったわけだが、このことは、鉄道にとって脅威であり、道路から鉄道へのいわゆるモーダルシフトを進める立場からは逆の動きともとれる。ただし、これまで鉄道での移動が困難な地域や都市において、新たなバス路線が開設されることで、移動の利便性が向上したという評価もされている。

ミュンヘン中央バス・ステーション。列車の中から撮影。右手が中央駅。
バス・ステーションの構内。インスブルックからミュンヘン空港駅行きのバスが経由する。上階はショッピング・モール。




 

2016年2月17日水曜日

ゴッタルド・トンネル

 ベルンの街を歩いているときに、下のような意見広告に出くわした。今あるゴッタルドトンネルにもう一本加えてトンネルを造る計画があり、それに反対しているらしい。

「トランジット地獄・スイス―第2ゴッタルド・トンネルにノーを」
  しばらく歩くと、今度は次のような広告が掲げられていた。先の広告とは反対に、トンネル建設に賛成の立場からのものである。どうやら、ゴッタルドにおける新たなトンネル建設に対して、スイスならではの国民投票があるようだ。

「スイス全体のために安全・確実なゴッタルドを―ゴッタルド・トンネルにイエスを」

 スイスには、アルプスを越える峠道がいくつか存在する(アルプスをどのようにして越えようと試みられてきたのか、別の機会に書いてみたい)。サンベルナール峠やシンプロン峠などと並んで、著名であり重要な峠がゴッタルド峠である。峠の南には、北イタリアの農工業地域があり、北はドイツやフランスなどヨーロッパの主要産業地域が位置している。これら両地域の間で、双方向の物資の移動がなされてきた。ものだけではなく、経済的な結びつきを背景に人も移動し、加えて観光目的の人の移動も多い。スイスは、こうしたヨーロッパの南北交通のトランジットの場、通過の地となってきたわけである。
 ゴッタルド・トンネルは、スイスのバーゼルとキアッソを結ぶ国道2号線上のゲシェネンGöschenen とアイロロAiroloの間に設けられた延長16.9mのトンネルである。既に1882年に開通していたゴッタルド鉄道トンネルとほぼ平行して1980年に開通したものである(ゴッタルド鉄道トンネルHP http://www.gotthard-strassentunnel.ch)。ゴッタルド・トンネルを抜けるルートは、バーゼル(その北はライン川流域のヨーロッパ経済の中心)から北イタリアの中心都市ミラノへの最短ルートということもあり、交通量が多く、渋滞も頻繁である。しかし、片側一車線の対面通行で、死者をだす悲惨な事故も起こってきた。ということで、拡張計画が過去において立てられてきたが、国民投票によって否決されてきた(Wiki)。
 ここにきて再び、トンネル建設計画がだされ、その建設を巡る国民投票が行われることになる。ちょうど帰りのスイス航空便で、Automibil Revue(Nr.6, 2016.2.10)という新聞で「ゴッタルドを巡る戦い」という特集をやっているのを目にした。賛成派のHP(http://www.gotthard-tunnel-ja.ch/)、反対派のHP(http://www.zweite-roehre-nein.ch/de.html)と合わせて、ゴッタルドは今どんな状況にあるのか、みてみよう。
 今回、スイス連邦政府がだしてきた計画は、既存のトンネルの隣りにもう1本新たにトンネルを掘るというものである。2020年から7年にかけて完成させ、その後、新トンネルを双方向の通行に用いて、現在の安全基準に合致しない既存のトンネルを3年かけて改修する。改修の終わった2030年以降に、両トンネルをそれぞれ上り下り別に運用するが、片側2車線とはせず、1車線と緊急用車線として使うという。総費用は、27億88百万スイスフランが見積もられている。
 賛成側は、ゴッタルド・トンネルの危険な状況の解消をまず挙げる。そして、アルプスの南にあってスイスの北の主要地域と分断されているティチーノ州の統合強化を主張する。むろん経済効果も大きいとされる。一方、反対側は、トンネル建設により交通量はさらに増加し、アルプスの環境破壊が進むと主張する。また、費用もかかるし、現在、建設が進められている鉄道用のゴッタルド・ベース・トンネル(新アルプス横断鉄道NEATプロジェクトとして計画)で十分ではないかという。
 反対派の代替案はどんなものかというと、2本目のトンネルは造らない。そして、980日間、現在のトンネルを閉鎖して改修を行い、代行輸送として、一般道と鉄道を用いるというものである。この場合の費用は、14億3千万~16億5千万スイスフランが見積もられる。こちらの方が安くつくことになる。
  いわゆる右派の人々が賛成で、左派が反対に回っているのに加えて、スイスにおける南北間の意見の相違があるらしい。ティチーノ州の人々にとって、トンネルの拡充は、アルプスの北の地域との結びつきの強化となり、反対派が主張するトンネルの一時閉鎖は経済的な死活問題である(反対派の人々は、ティチーノ州の過半の人々は反対であると言っているが)。
 投票は、来る2月28日。さて、スイスの人々はどんな結論をだすであろうか?



 

2016年2月10日水曜日

Combined Transport

  スイス航空にてチューリッヒに入る。チューリッヒ空港からベルンまで、インターシティ特急にて乗り換えなしで移動した。スイスといえば、アルプスの山で囲まれた印象だが、スイス北部は丘陵地帯であり、チューリッヒからベルンまでは、なだらかな丘陵の間を東西に流れるアーレー川に沿って列車は走る。途中は中小の都市が並び、多くの工場や郊外型のショッピングモールが次々に現れ、この区間がスイスの経済にとって重要な地帯であることがみてとれる。スイスの経済の中心軸は西はローザンヌからジュネーブ、そして東はサンクト・ガレンまで拡張してみることもできようが。途中、いくつもの大規模な操車場があり、駅には荷物の積み下ろし用プラットフォームがあったり、工場や倉庫への引き込み線があったりする。日本でもついこの間までよくみられた風景であり、鉄道による貨物輸送がスイスにおいては一定の位置を占めているとことがわかる。
 ベルン駅前のホテルに投宿。学生の時に訪れて以来なので、二十数年ぶりとなろうか。駅前には、何系統ものバスや路面電車の停留所が集約され、平面で乗り換えできるようになっている。また、駅に直結したビルに駐車場や駐輪場が設けられている。
 これらは、実はドイツなど他のヨーロッパ諸国でも同じようにみられることである。そこで実践されていることは、Combined Transport、複合輸送(この訳でよいのかわからないが)である。複合輸送とは、人や物の輸送を一つの輸送手段のみに頼るのではなく、場面場面に応じて適した輸送手段を複数用いていく、そして、複数の輸送手段の適切な接続を図っていくことである。
 飛行機が運んできた人を今度は鉄道で目的地に運ぶ。空港の集客圏、すなわち後背地は一般に広く、中長距離列車が空港からの輸送を担う。チューリッヒと同様、パリのシャルル・ドゴール空港や、フランクフルト空港に、それぞれTGV、ICEといった特急列車が乗り込んでいるのも、輸送の合理的な分担を図ろうとしていることによる。羽田空港に上野東京ライン、あるいは新幹線が乗り入れているようなものである。
 物資についても同様で、鉄道が担うに適したところは鉄道で、トラックが担うに良いところはトラックが運べばよい。この点において、スイスでは貨物輸送において、鉄道にもある重要な役割をもたせているということであろう。翻って、日本においては、かつてあった操車場や貨物用プラットフォームはものの見事に少なくなってしまった。大宮操車場はさいたま新都心として生まれ変わり、高層ビルが立ち並ぶ。東京のもつ機能の一部を担う場所となっているが、ほかの使い方があったかもしれない。
  ドイツなどヨーロッパでは、エコ!な意識が高まり、公共交通機関へと一方的に移行しつつあるという印象をもっている人も多いかもしれないが、実はそうでもない。自家用車の利用を全く妨げているわけでもないし、自家用車が担うべき個所もそれなりに位置づけられており、したがって、駅に直結して駐車場が設置されているわけである。加えて、自転車も自転車で一つの輸送手段として複合輸送の中で位置づけられ、鉄道など他の輸送手段との合理的な接続が試みられている。
 飛行機、鉄道、自動車、バス、路面電車、自転車、これら輸送手段の合理的な分担、そして接続、すなわち複合輸送が、スイスのみならずヨーロッパにおいて図ろうとされているわけである。 そこでは、輸送あるいは交通がトータルに捉えられおり、ある場所に住む人が、別のある場所に移動する合理的な手段を確保しようと試みられている。ヨーロッパにおいて、人々に移動手段を提供するのは、ガスや電気、水道などを提供すると同じことなのである。
 

チューリッヒ空港駅にて

ベルン駅前の停車場。いわゆるトランジット・モール?

駅直結の駐車場と駐輪場入り口

駅駐車場入り口

駅駐車場構内

おまけ。ベルンの街。

2015年5月25日月曜日

川崎エクスカーション(1)

 先日の土曜、ゼミの学生らと川崎区を中心に川崎を巡るエクスカーションを実施する。川崎については、小川一朗 2003.『川崎の地誌ー新しい郷土研究』有隣堂.がある。これはなかなかによい。とりわけ工業の分布や移転に関する魅力的な図が多数掲載されている。近年の変貌について、牛垣雄矢 2008. 川崎市における地域構造の変化―産業と商業地の動向より-.地理誌叢49:16-33. があり、参考とした。

 JR登戸駅に集合。駅前東側を眺める。駅前広場を巡り2階建て木造の飲食店、飲食店が入ったビルが並ぶ。東京都心から放射状に伸びる鉄道と南武線との接合駅の中でも、溝の口や武蔵小杉に比べると、登戸駅における商業機能の集積は明らかに劣る。駅のすぐそばにおいても戸建て住宅が目立つ。駅前再開発が進行中とのこと、完成の暁には、どのような変貌がみられるだろうか。

 南武線に乗り、川崎方向へ。住宅、とりわけアパートと思しき低層の集合住宅が目立つ。時間の関係でパスした溝ノ口を過ぎると、規模の大きな高層マンションがここそこに現れてくる。武蔵小杉に近づくほどに、合わせて工場用地が増える。芝を敷き詰めた敷地に新しい瀟洒なビルが建っている場合が多い。先の2つの文献によると、各企業は生産の拠点を外部に移転し、研究会開発拠点を残しているとのこと。孫引きだが、川崎市における全産業従事者に占める教育・学術研究機関従業者の比率は13.6%で、なんと全国1位である(牛垣、2008)。川崎といえば何かを生産する工業、というイメージが強い。したがって、この「1位」には学生らも驚いた様子。

 武蔵小杉で途中下車。大学から生田緑地の向こうに見えるスカイラインがここである(と、いうと、学生らは、「あぁー、そうか、、、」。おいおい、地図なり実際に行ってみるなりして確かめろよ、と思う。ちなみに私は一度、大学の帰りに車で立ち寄り済み)。武蔵小杉は、元来、中原街道が多摩川を丸子の渡しで渡った後の街道沿いの町。この旧街道沿い周辺には、雑然とした昔ながらの飲食店が並ぶ。一方、東急東横線とJR横須賀線の間には、高層マンションが林立する極めて特異な景観がみられる。川崎まちづくり局によると、20階以上のマンションで11棟あり、現在1棟が建設中である。歩いてみると、これらが密集しているわけではなく、間隔をおいて建てられ、緑も多くゆったりとしている。武蔵小杉東急スクェア、グランツリー武蔵小杉、ららテラス武蔵小杉といった有名テナントが入った単価の高い商業施設も駅周辺に立地している。「ニコタマみたいですね」と一人の学生が言う。この感覚はよい。 なんでも武蔵小杉は、これまで神奈川県内の住宅地価1位の横浜市中区山手町を抜いて、1位となったという(要確認)。元々、東急で渋谷、目黒へ一本でアクセスでき、加えて、2010年、横須賀線の武蔵小杉駅ができて、品川・東京方面、そして、湘南新宿ラインで、渋谷・新宿・池袋へのアクセスもよくなった(南武線もあります!)。それに加えて、少数の企業が所有していた広大な土地があった。豊洲など湾岸エリアと似ている、と述べた学生がいたが、湾岸エリアでは、干拓によって広大な土地を獲得することができたわけである。

 武蔵小杉駅は、旧来、南武線ではグラウンド前駅、東急東横線では工業都市駅であったという。すなわち、東京という都市の拡大とともに、広い面積を必要とするグラウンドや工場が周辺へと移動し、武蔵小杉周辺にもそれらが立地していたことになる。さらなる都市化、都市の拡大により、そして産業構造の転換により、グラウンドや工場はさらに外方(あるいは海外)へ移動し、土地利用の変化、とりわけ居住地への転換が生じたといえる。ここにおいて、居住地としての大きなイメージの逆転があるといえよう。良好な(ハイソな?)住宅地としての武蔵小杉のイメージは、実際のアクセスの良さや住居の質の高さからだけではなく、デベロッパーによるマーケティング戦略によるところも大きいかもしれない。

 
 




2015年5月17日日曜日

上野東京ライン初乗り

 14日、浦和駅前にて所用。次の目的地、四ッ谷に行くには時間があったので、はじめて上野東京ラインに乗る。先頭車両、11時も過ぎて空いていると思ったが、 けっこうな人で、座れないし、運転席にもかぶりつけない。上野駅で乗客の半数近くが降りる。ターミナル、乗換駅としての上野駅がどうなるのか興味のあると ころであるが、地下鉄銀座線や日比谷線もあるし、商業の集積もある。それなりの拠点性は維持されていくことであろう。

  上野駅からしばらくは徐行。御徒町付近で、3線のうち1線は従来からある電留線へ、上野東京ラインは2線になる。秋葉原を過ぎてからはけっこうな勾配の上 り坂となり、ビルの高層階を眺めつつ、神田からすぐにまた急な下り坂となり東京駅に至る。東京駅で降りる人よりも、そのまま乗車する人が多い。湘南新宿ラ インも同様で、池袋、新宿、渋谷をスルーして乗り続ける人がけっこういる(だから座れると思っていても座れない!)。どうしても郊外から都心への移動が主 であると考えてしまうが、そうでもないらしい。彼らは、どこからどこへどういう目的で移動しているのだろうか。夕刻、向ヶ丘遊園から新宿行きの小田急に 乗ってもいっぱいの人である。ここでも、単純に郊外から都心への通勤・通学移動だけではなく逆の動きもあることがわかる。郊外は居住の場所のみならず、業 務機能、教育機能など多様な役割をもつ場所になっているのであろう。そこで、郊外から都心へ、そしてまた郊外から郊外へといった従来とは異なる人の流動が 生じているのかもしれない。

 大学で教わったO先生の講義で覚えていることの一つに「ターミナル・コスト」がある。 列車が、ある都心の終着駅に着いた際には、乗務員の入れ替え、機関車の付け替えなど、時間と費用がかかる。都心の終着駅をスルーして、反対側の郊外まで列 車を走らせることで、コストを減らすことができて、効率化につながるという。彼の話を聞いて後、ドイツ、マンハイムの街に行き、その路面電車をみて、なる ほど、と思った次第である。マンハイムの都心に四方の郊外から入る路面電車は、そのまま都心をスルーして、反対側の郊外へと至る。路面電車の場合は特に、 都心を終点にはするのは合理的ではないが。東京においても私鉄と地下鉄の相互乗り入れが始まり、やがて、ある方向からの私鉄と地下鉄と別方向への私鉄の相 互乗り入れが行われるようになってきた。そこでは、乗客にとって都心に直接アクセスできるというが強調されているようだが、運営する側の効率化ということ もあるのだろう。JR東の都心スルー路線、湘南新宿ライン、上野東京ラインも同じ文脈でとらえることができよう。

 と、 そんなことなど考えながら、自分自身は東京駅で降りる。せっかくここまできたので、丸の内のオアゾという奇っ怪な名前のビルにある丸善に立ち寄る。アマゾ ンなどネットで本を買う機会が増えてきたとはいえ、並んでいる本を眺めて品定めをするのもまたよい。思いがけない本に出会ったりもする。Enrico Moretti "The new geography of JOBS"を目にし、購入する。

2015年5月15日金曜日

道路

 昨夕は学科による新入生の歓迎会。上級生が、工夫を凝らし、ユーモアの溢れる企画を催してくれた。車での帰宅だが、中央環状線は夜間工事のため渋滞。夜間で空いているだろうと、第3京浜で横浜までいき、湾岸線に入って戻ってくることとした。横浜も大都会、横浜ベイブリッジあたりからみるみなとみらいの夜景も、レインボーブリッジからの都心の夜景に負けず劣らず見事なもの。湾岸線も工事で大井から先は渋滞、1号線に入り都心環状線を時計回りで走ってくる。

 慣れてきたとはいえ、首都高の走行はやはり怖いところがある。昨日も行きに危うく事故を起こしそうになった。 こういってはなんだが、合流のアプローチが短かったり、走行車線側に分岐があったり、道路の設計がそもそもよくないのではないか。それは一般道路にもいえることである。かつてドイツ滞在中、車(Opel Kadettというクラッチ板がすりきれてスピードの出ない車だった)を保有、運転してあちこちにでかけていた。その後、日本に帰って、日本で再び運転をしてみると、運転の怖いこと!幹線道路でも、脇道からの合流が次から次とある。2車線の道路の右側車線で、止まって、向こう側の店に入ろうとする車がある。冷や冷やの連続であった。振り返って、ドイツの道路がいかにうまくできていたかと感じ入った。ドイツ人は決して器用とはいえない。そんな彼らがスムーズに運転できるように道路が作られていると言うことである。へたくそなドライバー、注意散漫なドライバーでも、走行ができるように、「人間工学的」に考えて道路が作られているのではないだろうか。

 あってはならないことではあるが、交通事故は起こした人の責任、ということになっている。運転するものが注意すべきことになっている。それでも、事故は起こる。起こしたくなくても起こってしまう。そうした事故のうち、もしも、道路の構造が違っていたら、より運転しやすい道路であったり、見通しのよい交差点であったりしたら、起こらなかったであろう事故は実は多いのではないか。個人の責任をおいておいて、なんでもかんでもを行政や企業の非にすることは好ましくはないが、交通事故の加害者、被害者双方のことを考えると、「走りやすい道路」、「ストレスをあたえない道路」を作っていくことは意味があろう。もし、もう一度、大学で学べるとすれば、やりたいことはいろいろあるが、この道路づくりはそのうちのひとつである。

 

2015年4月27日月曜日

渋滞

 車にて出勤。行きはいつものように首都高5号線から中央環状線に入り、大橋JCTで3号、そして東名川崎で降りる。中央環状線が自然渋滞していたが、およそ1時間。順調な方といえる。問題は帰り。生田を出発するときには、ネット上の首都高渋滞情報とGoogleMapの交通状況の双方を確認するようにしている。今夕は、5号線下りが竹橋JCTと熊野町JCT間が事故で通行止め。当然に中央環状線も混んでいる。代替ルートとして考えられるのは、まず環八。環八もそれでなくとも夕方は混んでいて、渋滞を避けたつもりがまた渋滞の中に、ということになってしまう。次に中央環状線逆回り。3月7日に開通したばかりの区間を大井JCTまで行き、湾岸線を葛西JCTまで行って再び中央環状線に入るというもの。お台場の近未来的な風景を始め東京見物ルートであり、ベイブリッジ経由で都心環状線に戻ることもできる。が、ここも混んでいる。

ということで、初めてのルートを選択してみる。鶴川街道、武蔵境通りを経て、大泉JCTから外環にのるというものである。調布、三鷹、武蔵野、そして練馬と東京の西郊をたどるルートは、思ったよりも交通量は少ないし、片側2車線のところも多い。さすがに甲州街道や青梅街道を横切るところでは滞るし、信号もやたらとあるので、それなりに時間はかかるが、ストレスなく運転できる。両側は、緑も多く落ち着いた佇まいの住宅が広がり、深大寺の近くでは植木畑が、それから北では普通畑が住宅地の中に点在する。ちょうど夕刻、明かりをつけ始めた店舗の前を通学帰りの生徒や買い物帰りの女性が行き交う。人が住まう「まち」らしい光景。

西武新宿線を越えて先は、武蔵関に親類があり、ちょくちょく訪れていたので道もわかる。これまでなかった練馬大根の直売所があり、漬け物を売っていたり、、、知らないうちに街も変わっている。工事で入り口がわかりにくくなっている大泉JCTに入れば後はもうすぐ、、、トータルちょうど1時間半!