年が明けていつの間にやら学期末。日本の暦と大学の学期には齟齬がある、と常々思っている。4月に新学期が始まり、調子に乗ってきたところで、ゴールデンウィークがやってくる。五月病とやらがいわれるが、休みが入ることで緊張が解けることもあろう。後期も後期で、年末年始でのんびりした後は、なんとなくオマケのような感じとなる。
さて、再び落語である。相変わらず、通勤の際に聴いている。と、前回に指摘した笑いのツボにもう一つ付け加えたくなった。それは「逆転」である。弱いものが強く、逆に強いものが弱くなる主客逆転が笑いを誘う。「らくだ」で、恐い兄貴分に指図されていた屑屋が、お酒を飲むうちに、兄貴分に対して大口を叩くようになる。「初天神」では、ものを買ってくれと駄々をこねる息子に手を焼く父親が、息子に買ってやったタコ揚げに本人が子どものように夢中になってしまって、息子に呆れ果てられる。立場の入れ換わりがここにある。また、現実だと思っていたことが夢であったり(いわゆる夢落ち、たとえば「夢金」)、夢だったと思っていたら現実であったり(「芝浜」)、これもまた同種のものであろう。
さて、落語は、道徳、倫理もまた伝えてきたと述べた。 合わせて、教育、伝承の役割も果たしてきたのではないだろうか。ご隠居に熊さんが、問いかけて、ご隠居が応える。それに対して、熊さんはまた頓珍漢な解釈をして応える。これがおもしろいわけだが、こうしたやり取りを通して、弥生は3月であることなど、言葉の意味を教授することになっているわけである。こうした語句に加えて、英雄譚、、合戦、和歌、川柳など、日本史や詩歌が落語の話の中にちりばめられることで、知らず知らずのうちにそれらが身についていくのかもしれない。落語初心者の勝手な解釈であり、落語家はそんなことはない、と否定されるかもしれない。が、意図しない効果というものはあるだろう。
先日、本屋の漫画コーナーに、荒川弘の「百姓貴族(4)」を探しに行ったときに、「落語心中」という漫画を目にした。こんな漫画があるのだ、と第1巻を買う。最初にでてくる落語が「死神」。第2巻以降も買ってしまうかも、、、
2016年2月28日日曜日
2015年11月1日日曜日
ハロウィーン
本日はハロウィーン。まだ、渋谷の街も大騒ぎなのでしょうな、、、。ハロウィーンは、元来、現在のヨーロッパの先住民族ともいえるケルト人によって、1年(あるいは夏)の終わり(10月31日)に収穫を祝い、来たるべく冬の悪霊を追い払うという祭である(Wikiほか)。悪霊から身を守るために、仮面を被り、火を焚いたという(Wiki)。これが現在行われるところの仮装、そしてカボチャの提灯(ジャック・オー・ランタン)になったということであろう(カボチャはアメリカ原産で、そもそもケルト人が大陸ヨーロッパに居住していた頃にはなく、当初はビート(カブ)を用いていたらしい)。
今日、ハロウィーンは、アイルランドをはじめ英語圏で主として行われる行事である。それが英語圏以外の国々に、商業主義に乗っかって広まっているともいえる。英語圏ではないドイツでも、かつてはみれらなかったことだが、スーパーにこの時期、カボチャが並ぶようになっている。実は、ドイツには似たような行事がある。11月11日に行われる「聖マルチンの提灯行列」である。聖マルチン(316-397年)は、フランク王国にてキリスト教の伝道・布教に努め、初めて修道院を建設したという。植物、動物など自然の事物の言葉を理解し、したがって、悪魔を追い払うことができ、家畜の守り神として信仰された。この11月11日は、収穫が終わって冬が始まる時期、借金を清算し、雇用関係も更新する時であった。提灯をもった子供らが家々の前で歌を歌うと、家人が、お菓子やパン、果物などを与えるという。ケルト、そして英語圏のハロウィーンとまさに同じである。
この「聖マルチンの提灯行列」が行われる11月11日は、ゲルマン民族にとって彼らの神ヴォーダンを祀る収穫祭の日でもあるとのこと。このように、いわば土着の宗教行事がキリスト教の行事に取り込まれていった例は数多い。では、ケルト民族のハロウィーンとゲルマン民族のヴォーダンの祭は、どう関連するのか、しないのか、、、、、?
参考文献
山本 充 2006. 森林からみたヨーロッパ文化. 菊地俊夫・犬井正編著『森を知り 森に学ぶ』二宮書店,25-34.
山本 充 2006. ヨーロッパの森と人々の生活. 菊地俊夫・犬井正編著『森を知り 森に学ぶ』二宮書店,94-100.
今日、ハロウィーンは、アイルランドをはじめ英語圏で主として行われる行事である。それが英語圏以外の国々に、商業主義に乗っかって広まっているともいえる。英語圏ではないドイツでも、かつてはみれらなかったことだが、スーパーにこの時期、カボチャが並ぶようになっている。実は、ドイツには似たような行事がある。11月11日に行われる「聖マルチンの提灯行列」である。聖マルチン(316-397年)は、フランク王国にてキリスト教の伝道・布教に努め、初めて修道院を建設したという。植物、動物など自然の事物の言葉を理解し、したがって、悪魔を追い払うことができ、家畜の守り神として信仰された。この11月11日は、収穫が終わって冬が始まる時期、借金を清算し、雇用関係も更新する時であった。提灯をもった子供らが家々の前で歌を歌うと、家人が、お菓子やパン、果物などを与えるという。ケルト、そして英語圏のハロウィーンとまさに同じである。
この「聖マルチンの提灯行列」が行われる11月11日は、ゲルマン民族にとって彼らの神ヴォーダンを祀る収穫祭の日でもあるとのこと。このように、いわば土着の宗教行事がキリスト教の行事に取り込まれていった例は数多い。では、ケルト民族のハロウィーンとゲルマン民族のヴォーダンの祭は、どう関連するのか、しないのか、、、、、?
参考文献
山本 充 2006. 森林からみたヨーロッパ文化. 菊地俊夫・犬井正編著『森を知り 森に学ぶ』二宮書店,25-34.
山本 充 2006. ヨーロッパの森と人々の生活. 菊地俊夫・犬井正編著『森を知り 森に学ぶ』二宮書店,94-100.
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| ドイツN小学校における聖マルチン祭 |
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| 学校の中を提灯行列 |
2015年10月9日金曜日
落語
我々の世代の若かりし頃、ドライブと言えば、ユーミンとか稲垣とかが定番(人によってはオフコース。オフコースなんていい年をしてめめしい、と思っていたが、いい年をしてあんな風にジタバタするのが人生なのだと、いい年になって思う。)。そして今、いい年になって車に乗って聴いているのが落語である。
落語と言えばまず笑い、滑稽話であろう。かつて読んだ井上ひさしの「ブラウン監獄の四季」。彼が、NHKの仕事をしていたころのエピソードを綴ったエッセーで、クスッと笑ってしまう、とても面白い本である。この本の中に、今で言う「お笑い」の台本を作る中で、どうしたら笑ってもらえるか悶々と考えたという話がある。それによると、笑いを誘うひとつに「なぞりと失敗」があるという。ある人が何かをやる。それをまねして他の誰かが同じことをやってみるが、そこで失敗する、、、ここに笑いが生まれる。ドリフターズを例に出していて、ドリフのメンバーが同じことを次々やっていく中で、一人が違うことをしたり、失敗したりすることで、どっと沸くことになる。
落語の笑いの多くも実はこれである。ご隠居に教えられたように熊さんがやって失敗する、という話。よく知られた「時そば」がまさにこれに当たる。「お化け長屋」は、同じ物言いに対して、異なる人が異なる反応をする話であり、同じ質の笑いである。
加えて、「コミュニケーション・ギャップ 」。「百川」や「金明竹」などがこれに当たる。方言を十分理解できずに違う意味で捉えて、間違いが起きるわけである。漫才においても、ぼけとつっこみがつくる同じようなコミュニケーションのズレが笑いを誘うといえる。
「なぞりと失敗」であれ「コミュニケーション・ギャップ」であれ、調和的に整然と進行するはずの行動や会話において生じるズレが笑いを誘う。このことは洋の東西、時代を問わず同じではなかろうか。落語は、普遍的な笑いを提供してきたといえるだろう。したがって、落語を、たとえば英語に訳したとして、英語圏の人々に笑いをもたらすことができる。(はて現在の日本のテレビの「お笑い」はそんな普遍性を有しているだろうか?)
一方で、人情ものの落語はまた、人の生き方の手本、道徳、倫理もまた伝えてきたといえよう。「井戸の茶碗」のように正直、実直であることや、「芝浜」にみられるまじめに働くことの大切さ、「文七元結」における自分の身を削っての人助け、、、江戸時代に成立したとされる落語は、当時において良しとされる生き様、価値観を反映し、かつそれを人々に伝え広めてきたともいえる。今日においても落語の人情話を聞いて共感できるのは、当時の人々と同様の価値観を共有しているからであろう。そしてそれは、日本固有のものであろうか、あるいは普遍的なものであろうか?
明日は出勤日。さて、何を聴いて参ろうか、、、
落語と言えばまず笑い、滑稽話であろう。かつて読んだ井上ひさしの「ブラウン監獄の四季」。彼が、NHKの仕事をしていたころのエピソードを綴ったエッセーで、クスッと笑ってしまう、とても面白い本である。この本の中に、今で言う「お笑い」の台本を作る中で、どうしたら笑ってもらえるか悶々と考えたという話がある。それによると、笑いを誘うひとつに「なぞりと失敗」があるという。ある人が何かをやる。それをまねして他の誰かが同じことをやってみるが、そこで失敗する、、、ここに笑いが生まれる。ドリフターズを例に出していて、ドリフのメンバーが同じことを次々やっていく中で、一人が違うことをしたり、失敗したりすることで、どっと沸くことになる。
落語の笑いの多くも実はこれである。ご隠居に教えられたように熊さんがやって失敗する、という話。よく知られた「時そば」がまさにこれに当たる。「お化け長屋」は、同じ物言いに対して、異なる人が異なる反応をする話であり、同じ質の笑いである。
加えて、「コミュニケーション・ギャップ 」。「百川」や「金明竹」などがこれに当たる。方言を十分理解できずに違う意味で捉えて、間違いが起きるわけである。漫才においても、ぼけとつっこみがつくる同じようなコミュニケーションのズレが笑いを誘うといえる。
「なぞりと失敗」であれ「コミュニケーション・ギャップ」であれ、調和的に整然と進行するはずの行動や会話において生じるズレが笑いを誘う。このことは洋の東西、時代を問わず同じではなかろうか。落語は、普遍的な笑いを提供してきたといえるだろう。したがって、落語を、たとえば英語に訳したとして、英語圏の人々に笑いをもたらすことができる。(はて現在の日本のテレビの「お笑い」はそんな普遍性を有しているだろうか?)
一方で、人情ものの落語はまた、人の生き方の手本、道徳、倫理もまた伝えてきたといえよう。「井戸の茶碗」のように正直、実直であることや、「芝浜」にみられるまじめに働くことの大切さ、「文七元結」における自分の身を削っての人助け、、、江戸時代に成立したとされる落語は、当時において良しとされる生き様、価値観を反映し、かつそれを人々に伝え広めてきたともいえる。今日においても落語の人情話を聞いて共感できるのは、当時の人々と同様の価値観を共有しているからであろう。そしてそれは、日本固有のものであろうか、あるいは普遍的なものであろうか?
明日は出勤日。さて、何を聴いて参ろうか、、、
2015年5月8日金曜日
また秋葉原
昨日は、野暮用にて秋葉原。そうでなくてもしょっちゅう来ている街ではあるが、ついでに、最近、訪れていないところにも足を伸ばしてみる。
外国人観光客の増加が話題となっているが、秋葉原も以前に比して その数は明らかに増えている。彼らは、中央通りのようなメインストリートだけではなく、その西の裏秋葉と呼ばれるような路地にも出没している。昨今、観光ガイドブックだけではなく、インターネット上の個人の情報発信源が、観光の際の重要な情報源となっており、観光客の行動も変化し、多様になっているのであろう。
彼ら外国人にとって、電気製品やアニメ、メイド喫茶などにとどまらず、活気があって雑然とした様もまた魅力だといえよう。猥雑なマーケットの雰囲気とハイテク、オタク世界の奇妙な融合、、、。歩いていて面白い、何か新たな発見があるのでは、と思わせてくれるような街はそうそうないであろう。
交通・通信技術の発達により、人や物資、そして情報が世界中を一気に駆け巡る時代である。世界各地において存在していた場所の個性が、やがては失れ、どの場所も同じようになってしまう、収斂して均質化するという見方がある、一方で、現代においては、技術革新によって、個人が個性をより発揮できるようになっている、それぞれが趣味やライフスタイルにおいてやりたいことをやることで、バーチャルな世界だけではなく、現実世界において個性ある場所が出現するという見解もある。 現代社会はどちらの方向に向かっているのか、地理学においても興味深い課題である。そして、秋葉原のような場所の生成は、何を物語ってくれるのだろうか。
外国人観光客の増加が話題となっているが、秋葉原も以前に比して その数は明らかに増えている。彼らは、中央通りのようなメインストリートだけではなく、その西の裏秋葉と呼ばれるような路地にも出没している。昨今、観光ガイドブックだけではなく、インターネット上の個人の情報発信源が、観光の際の重要な情報源となっており、観光客の行動も変化し、多様になっているのであろう。
彼ら外国人にとって、電気製品やアニメ、メイド喫茶などにとどまらず、活気があって雑然とした様もまた魅力だといえよう。猥雑なマーケットの雰囲気とハイテク、オタク世界の奇妙な融合、、、。歩いていて面白い、何か新たな発見があるのでは、と思わせてくれるような街はそうそうないであろう。
交通・通信技術の発達により、人や物資、そして情報が世界中を一気に駆け巡る時代である。世界各地において存在していた場所の個性が、やがては失れ、どの場所も同じようになってしまう、収斂して均質化するという見方がある、一方で、現代においては、技術革新によって、個人が個性をより発揮できるようになっている、それぞれが趣味やライフスタイルにおいてやりたいことをやることで、バーチャルな世界だけではなく、現実世界において個性ある場所が出現するという見解もある。 現代社会はどちらの方向に向かっているのか、地理学においても興味深い課題である。そして、秋葉原のような場所の生成は、何を物語ってくれるのだろうか。
経済力と芸術
お金のあるところに芸術品が集まると言われる。世界の各都市のGDPと、それぞれの都市にある芸術品の評価額(個人のコレクションまでは把握できないだろうが、美術館の分は評価可能であろう)の相関をとってみたらどうだろう?むろん過去の繁栄時に収集された芸術品が、衰退後も維持されている例もあろうが、基本的に相関関係があることは明白であろう。
昨日紹介したマンハイムにも美術館Kunsthalle Mannheimがある。マンハイム自体、バロックの城と都市形態をもつが、町並み自体は新しく、これといった観光資源もない。日本からの観光客もそう訪れるところではない。しかしながら、30万を超える人口を有する工業都市マンハイムは、ドイツでは大きな街といえ、この美術館もそれなりに充実している。
Kunsthalle Mannheimは、ベックマンやキルヒナーなどドイツ表現主義のコレクションで知られる。人の内面をグサリとえぐり出すような作風はあまり気分のよいものではないが、インパクトはある。また、印象派では、マネの大作「皇帝マクシミリアンの処刑」やセザンヌの「パイプをくわえた男」(同じモチーフが複数ある)などがある。折に触れて訪ねてきたが、いついっても閑散としていて、入場者よりも係員の方が多いのではないかと思うほどである。ヨーロッパを訪れたときに誰もが行くのが美術館。著名な美術館において人混みの中で慌ただしく著名な作品をみるよりも、こんな小さな美術館で、静かにじっくりと作品と向き合うのもよいかもしれない。
昨日紹介したマンハイムにも美術館Kunsthalle Mannheimがある。マンハイム自体、バロックの城と都市形態をもつが、町並み自体は新しく、これといった観光資源もない。日本からの観光客もそう訪れるところではない。しかしながら、30万を超える人口を有する工業都市マンハイムは、ドイツでは大きな街といえ、この美術館もそれなりに充実している。
Kunsthalle Mannheimは、ベックマンやキルヒナーなどドイツ表現主義のコレクションで知られる。人の内面をグサリとえぐり出すような作風はあまり気分のよいものではないが、インパクトはある。また、印象派では、マネの大作「皇帝マクシミリアンの処刑」やセザンヌの「パイプをくわえた男」(同じモチーフが複数ある)などがある。折に触れて訪ねてきたが、いついっても閑散としていて、入場者よりも係員の方が多いのではないかと思うほどである。ヨーロッパを訪れたときに誰もが行くのが美術館。著名な美術館において人混みの中で慌ただしく著名な作品をみるよりも、こんな小さな美術館で、静かにじっくりと作品と向き合うのもよいかもしれない。
2015年5月7日木曜日
Ethnic Gentrification
ジェントリフィケーションは、都市地理学など都市研究において用いられてきた用語であり、先の学会でも、ジェントリフィケーションを巡っていくつかの発表があった。ジェントリフィケーションgentrification、すなわち質的な向上とは、複合的、多面的な意味で用いられる。都市の中心部、スラムと呼ばれるような荒廃した地区、そこでは建物の質も劣悪で、住んでいる住民層も失業者や低所得者層で、犯罪も多発したりする。そんなところに、自発的に、工芸家や音楽家などアーティストが住み着いて、アトリエやライブハウスなどを開いたりする。面白い地区として、同じような層が集まってきて、彼らによって小洒落たカフェやバー、レストランなどができ、彼らなりの改修を重ねて、魅力的な場所へと変貌を遂げていく。あるいは、行政当局が、再開発によって、一気に古い建物を壊して、新しい住宅を建設し、高くなった家賃を支払えるだけの人々が移り住んでくる。いずれの場合も、住民層の入れ替えdisplacementによる社会階層の質的変化、そして景観上の質的変化を伴うという意味で、ジェントリフィケーションが生じたとされる。
さて、私が時折、訪れてきた場所にドイツ中部、工業都市マンハイムがある。17世紀初頭に、ライン・プァルツ選帝侯が、ハイデルベルクから居城を移すべくライン川とネッカー側の合流部に建設した格子状の道路網をもつ宮廷都市をベースとする。私がドイツで、そして海外で最初に宿泊した都市でもある(Gasthaus Goldene Gans、トレードマークがよかった)。
このマンハイムには、多くのトルコ系住民が住む。ドイツにおいては、第2次大戦後の労働力不足の時代に、労働者としてトルコ人を積極的に受け入れてきた。今日、ドイツの人口8千万のうち、外国人は810万人、トルコ人は最も多く153万人である(2014年。http://de.statista.com/statistik/daten/studie/1221/umfrage/anzahl-der-auslaender-in-deutschland-nach-herkunftsland/)。ドイツにおけるトルコ人の最大の集住地区は、小イスタンブールと称されるベルリンのクロイツベルクである。ドイツ西部地区では、このマンハイムが多くのトルコ人を抱えており、市の人口32.9万人のうちトルコ人が2.8万人を占めている(2013年。https://www.mannheim.de/stadt-gestalten/bevoelkerung)。彼らトルコ人が集住する一つが、市中心部Marktplatzから西南西、ラインの港に至る通りである。1987年、ハイデルベルクにいた頃、エクスカーションで連れて行ってもらった頃は、なんとなく薄汚れた印象であった。
ところが、である。折に触れて訪れるたびにこの地区はきれいになっていく。レストランやパン屋は小ぎれいに改修され、通りの建物も、見栄えよく塗られていく。加えて、彼らの居住域、経済活動の範囲も、メイン・ストリートにまで広がっていった。住民の入れ替えはなく、彼らの経済的状況の変化、すなわち所得の向上、生活水準の改善によって、この地区の質的向上、ジェントリフィケーションが生じたといえる。ベルリンが長かったS大のN氏にこの話をしたところ、クロイツベルクでも同様の傾向にあるという。実際、N氏にクロイツベルクに連れて行ったもらったところ、小ぎれいになり、ドイツ人らも多く訪れるようになっていた。社会階層の入れ替えを伴わない、民族集団の経済的状況の変化に伴うこうした変化は、ethinic gentrificationだ、と勝手に名付けていた。ググってみると、カナダ、トロントでも、民族地区のジェントリフィケーションが生じているらしい。ドイツの科学研究費DFGの研究助成でも、ハノーファー大学のMatthias Schmidtによる研究プロジェクトEthnic Gentrification? - Zur Rolle aufstiegsorientierter Migranten bei der Aufwertung innenstadtnaher Altbauquartiere(2011-2013)があった。ethinic gentrificationという用語が適切かどうかは別として、新たな現象としては生じており、注目されていることは確かである。
さて、私が時折、訪れてきた場所にドイツ中部、工業都市マンハイムがある。17世紀初頭に、ライン・プァルツ選帝侯が、ハイデルベルクから居城を移すべくライン川とネッカー側の合流部に建設した格子状の道路網をもつ宮廷都市をベースとする。私がドイツで、そして海外で最初に宿泊した都市でもある(Gasthaus Goldene Gans、トレードマークがよかった)。
このマンハイムには、多くのトルコ系住民が住む。ドイツにおいては、第2次大戦後の労働力不足の時代に、労働者としてトルコ人を積極的に受け入れてきた。今日、ドイツの人口8千万のうち、外国人は810万人、トルコ人は最も多く153万人である(2014年。http://de.statista.com/statistik/daten/studie/1221/umfrage/anzahl-der-auslaender-in-deutschland-nach-herkunftsland/)。ドイツにおけるトルコ人の最大の集住地区は、小イスタンブールと称されるベルリンのクロイツベルクである。ドイツ西部地区では、このマンハイムが多くのトルコ人を抱えており、市の人口32.9万人のうちトルコ人が2.8万人を占めている(2013年。https://www.mannheim.de/stadt-gestalten/bevoelkerung)。彼らトルコ人が集住する一つが、市中心部Marktplatzから西南西、ラインの港に至る通りである。1987年、ハイデルベルクにいた頃、エクスカーションで連れて行ってもらった頃は、なんとなく薄汚れた印象であった。
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| Marktplatzに面するトルコ人向け商店(1987年) |
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| トルコ人向けの店が並ぶ通り(1987年) |
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| バーが並ぶ。手前にはトルコ人家族。(1987年) |
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| 荒廃した建物(1987年) |
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| 現在のトルコ人街。改装されたトルコ料理店ときれいになったファサードの建物。 |
ところが、である。折に触れて訪れるたびにこの地区はきれいになっていく。レストランやパン屋は小ぎれいに改修され、通りの建物も、見栄えよく塗られていく。加えて、彼らの居住域、経済活動の範囲も、メイン・ストリートにまで広がっていった。住民の入れ替えはなく、彼らの経済的状況の変化、すなわち所得の向上、生活水準の改善によって、この地区の質的向上、ジェントリフィケーションが生じたといえる。ベルリンが長かったS大のN氏にこの話をしたところ、クロイツベルクでも同様の傾向にあるという。実際、N氏にクロイツベルクに連れて行ったもらったところ、小ぎれいになり、ドイツ人らも多く訪れるようになっていた。社会階層の入れ替えを伴わない、民族集団の経済的状況の変化に伴うこうした変化は、ethinic gentrificationだ、と勝手に名付けていた。ググってみると、カナダ、トロントでも、民族地区のジェントリフィケーションが生じているらしい。ドイツの科学研究費DFGの研究助成でも、ハノーファー大学のMatthias Schmidtによる研究プロジェクトEthnic Gentrification? - Zur Rolle aufstiegsorientierter Migranten bei der Aufwertung innenstadtnaher Altbauquartiere(2011-2013)があった。ethinic gentrificationという用語が適切かどうかは別として、新たな現象としては生じており、注目されていることは確かである。
2015年5月5日火曜日
言語境界上の2つの村
イタリア北部、南チロル。第一次大戦後にオーストリアからイタリアに割譲され、都市部を中心にイタリア語民が流入してきたが、農山村ではドイツ語が卓越する。そこから南に向かって行くと、イタリア語地域に移り変わる。ちょうどその境界上に相対して位置する2つの村、St.FelixとTretが注目されてきた。同じ環境にあって異なる言語集団から形成されている2つの村を比較した民族学の研究 Cole, J.W. and Wolf, E.R. 1974. The Hidden
Frontier: Ecology and Ethnicity in an Alpine Valley. Academic Press.(1999年に新版)はつとに知られる。日本でも、山本正三・加賀美雅弘・中川 正 1983. 集落の文化特性に関する比較研究ー文化人類学における2つの事例. 地域研究 24-1:1-12. において紹介されている。
同じ環境を異なる言語集団がどのように利用しているのか、そこにどんな違いがあるのか、地理学からみても面白いテーマとなる。1980代に、南チロルを研究しているR大Y氏に連れられて、この2つの村を訪ねたことがある。昨夏、チロルを広く回ってみた折に、再びこの両村に行ってみた。
「ドイツ語民の村であるSt.Felixは散村であり、かたやイタリア語民の村Tretは塊状村である。」言語集団毎に、住むかたち、集落形態からして違っていると、かつて訪れた際に撮影した写真をもとに授業で教えていたものである。今回行ってみて驚いたのは、散村であったSt.Felixの中心部に新しい住宅が多数建てられ、集住傾向にあること、一方で、塊状村であったTretの集住部の外に、新たな住宅が点在して建てられ分散傾向にあることであった。しかも、これら新しく建てられた住居は、どちらの集落においてもベランダをもち、その手すりに花を飾る、チロルによくみられる様式をとっていた。すなわち、集落の形態においても、建築様式においても、ドイツ語民の村、イタリア語民の村、双方において近似化、あるいは収斂がみられるといえよう。
同じ環境を異なる言語集団がどのように利用しているのか、そこにどんな違いがあるのか、地理学からみても面白いテーマとなる。1980代に、南チロルを研究しているR大Y氏に連れられて、この2つの村を訪ねたことがある。昨夏、チロルを広く回ってみた折に、再びこの両村に行ってみた。
「ドイツ語民の村であるSt.Felixは散村であり、かたやイタリア語民の村Tretは塊状村である。」言語集団毎に、住むかたち、集落形態からして違っていると、かつて訪れた際に撮影した写真をもとに授業で教えていたものである。今回行ってみて驚いたのは、散村であったSt.Felixの中心部に新しい住宅が多数建てられ、集住傾向にあること、一方で、塊状村であったTretの集住部の外に、新たな住宅が点在して建てられ分散傾向にあることであった。しかも、これら新しく建てられた住居は、どちらの集落においてもベランダをもち、その手すりに花を飾る、チロルによくみられる様式をとっていた。すなわち、集落の形態においても、建築様式においても、ドイツ語民の村、イタリア語民の村、双方において近似化、あるいは収斂がみられるといえよう。
| St.Felixの中心部 |
| Tretの周辺部 |
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